のとを同じ籠《かご》の中に投じながら、すなわち諸君がいつもなしてるように、連隊の娘[#「連隊の娘」に傍点]を材料にした幻想曲《ファンタジア》とサキソフォーンの四重奏曲《カルテット》との間にパルシファル[#「パルシファル」に傍点]の前奏曲をはさみ、あるいは黒人舞踏《クークウォーク》の一節《ひとふし》とレオンカヴァロの愚作とをベートーヴェンのアダジオの両側に並べたりして、世にある美しいものを汚すのは、許しがたいことだ。諸君は音楽的の大国民だと誇っている。諸君は音楽を愛すると自称している。だがいったい、どういう音楽を愛するのか! よい音楽をなのか、または悪い音楽をなのか? 諸君は皆一様にそれらを喝采《かっさい》するではないか。とにかく選択してみたまえ! ほんとうに諸君が欲するのはなんだ? それを諸君はみずから知っていない。知ろうとも思ってはいない。一方を選ぶことを、誤りをしやすまいかを、あまりに恐れているのだ。……そんな用心なんか、悪魔にでもいっちまえだ!――俺《おれ》は各派を超越してる、と諸君は言うだろう。――超越、それは以下という意味だ……。」
そしてクリストフはチューリッヒの剛健な市民ゴットフリート・ケルレル老人――峻厳《しゅんげん》な誠実さと郷土的な強い風味とによって彼には最もなつかしい作家の一人――の詩句を引用していた。
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流派を超越せりと好みて傲岸《ごうがん》を装《よそお》う者、
寧《むし》ろ遙《はる》か下位に属する者なるべし。
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「真実たるの勇気をもちたまえ。」と彼はつづけていた。「醜きままたるの勇気をもちたまえ。もし諸君が悪い音楽を好むならば、それときっぱり言うがいい。ありのままのおのれを示すがいい。あらゆる曖昧《あいまい》さの嫌悪《けんお》すべき粉飾を、魂から洗い落すがいい。満々たる水で魂から洗うがいい。どれくらい長い間、諸君は自分の顔を鏡に映して見たことがないというのか? これから僕がそれを見せてやろう。作曲家、演奏家、管絃楽長、歌手、それから汝《なんじ》親愛なる聴衆、君らに一度は自己の姿を知らしてやろう。……君らはなんであろうと勝手だ。しかしぜひとも真実でありたまえ! たとい芸術家らがまた芸術が、それを苦しむようになろうとも、真実でありたまえ! もし芸術と真実とがいっしょに生き得ないならば、芸術は死滅するがいい。真実、それが生命だ。死、それは虚偽だ。」
年少気鋭で過激でかなり悪趣味なこの宣言は、もとより読者を絶叫せしめた。けれども、万人がその目標とされていながら、だれ一人として明らかに名ざされていはしなかったので、自分のことだと見なすものはなかった。各人が真実の最良の友であり、そう信じており、あるいはそう考えていた。それでこの論説の結論は、だれからも攻撃されるの恐れがなかった。人々はただ全体の調子を不快に思った。そしてそれがあまり妥当なものではなく、ことに半官的な芸術家の言としてはそうであるというのが、一般の意見であった。数人の音楽家らは活動しだして、鋭い反抗の態度を取った。彼らはクリストフがそのままでとどまりはすまいと予見していた。またある音楽家らは巧みな態度を取るつもりで、クリストフにその勇敢な行ないを称揚した。でも彼らはやはり、次回の論説には不安をいだいていた。
そういう二様の策略は、共に同じ結果をしか得なかった。クリストフはもう飛び出していた。何物も彼を引止めることができなかった。そして彼があらかじめ言ったとおりに、作者も演奏者も皆引き出された。
まっ先に血祭に上げられたのは音楽長らであった。管弦楽統率術にたいする一般の意見を、クリストフは少しも眼中におかなかった。彼はその町の同僚や近隣の町の同僚を、一々それと名ざした。名ざさない場合には、だれにも一見して明らかであるような諷刺《ふうし》を用いた。宮廷管絃楽長アロイス・フォン・ヴェルネルの無気力さが述べられていることは、だれにでもわかった。これは種々の名誉な肩書をになってる用心深い老人で、万事を気づかい、万事を慎み、部下の音楽家らに一言の注意を与えるのも恐れて、彼らのなすままを従順にながめ、また演奏の番組のうちには、幾年もの引きつづいた成功によって箔《はく》をつけられたものか、あるいは少なくとも、何か官僚的権威の公然の印をおされたものかでなければ、何一つ思い切って加えることもできなかった。クリストフは反語的に、彼の大胆なやり方を称賛した。ガーデやドヴォルザークやチャイコフスキーを見出したのを祝した。彼の指揮する管絃楽の、確固たる正確さ、メトロノーム的な均斉《きんせい》さ、常に美妙な色合いを失わない演奏法を、激称した。次の音楽会には、チェルニーの急速なる練習曲[#「急速なる練習曲」に傍点]を演奏するがいいと提議した。そして、あまり身体を疲らせないように、あまり憤激しないように、貴重な健康をいたわるようにと頼んだ。――あるいはまた、彼がベートーヴェンのエロイカ[#「エロイカ」に傍点]を指揮した方法にたいし、憤怒《ふんぬ》の叫びをあげた。「大砲だ、大砲だ! こういう奴らを掃蕩《そうとう》してくれ!……君らはいったい、戦いとはいかなるものであるか、人間の愚昧《ぐまい》と獰猛《どうもう》とにたいする争闘とはいかなるものであるか――歓喜の笑いを浮かべてそれらを蹂躙《じゅうりん》する力とはいかなるものであるか、それを少しも知らないのだ……。それがどうして諸君にわかろう? 力が戦うのは諸君にたいしてである! ベートーヴェンのエロイカ[#「エロイカ」に傍点]を聞いたり演奏したりしながら、欠伸《あくび》を我慢することに――(なぜならこの曲は諸君を退屈がらせるからだ。……退屈だと、退屈でたまらないと、告白したまえ!)――あるいは、貴顕な人々の通過のさいに、帽をぬぎ背をかがめて風を物ともしないことに、諸君はおのれのうちの勇壮をことごとく浪費してるのだ。」
過去の偉人らの作を「古典《クラシック》」として演奏してる音楽学校の重鎮らにたいしては、彼はいかに譏刺《きし》を事としてもまだ足りなかった。
「古典《クラシック》! この言葉にはあらゆるものが含まっている。自由な情熱が、学校で使えるように整理し加減されてるのだ! 風に吹かれてる広野たる人生が、運動場の四壁のうちに閉じこめられてるのだ! 戦《おのの》く心の粗野な誇らかな律動《リズム》も、高拍子の撞木杖《しゅもくづえ》によりかかり跛を引きながら、お人よしのくだらぬ道を安心して進んでゆく、四拍子一節の時計の音になされてるのだ!……大洋を享楽せんがためには、諸君はそれを金魚といっしょにガラス瓶《びん》の中に入れたがるに違いない。諸君は人生を殺してしまった時に、初めて人生を解するのだ。」
クリストフは、彼が「剥製《はくせい》者」と名づけた人々にたいして温和ではなかったが、「曲馬師」ら、腕の丸みと粉飾した手とを称賛さしに押し出してくる名高い音楽長らにたいしても、やはり温和ではなかった。彼らは、大楽匠を踏み台にしておのれの腕前を揮《ふる》い、広く世に知られてる作品を形《かた》なしにしようとつとめ、ハ短調交響曲[#「ハ短調交響曲」に傍点]の箍《たが》の飛びぬけをやってるのだった。クリストフは彼らを、めかし婆《ばば》、ジプシー、綱渡り、などと呼んでいた。
妙技を有する音楽家らが、豊富な材料を供給してくれた。彼は彼らの奇術的興行を批判することを回避した。彼の言葉に従えば、そういう機械仕掛《からくり》の技芸は、工芸学校に属する手法であって、それらの仕事の価値を評価し得るものは、時間と音数と消費された精力とを記載する図表ばかりであった。時とすると、二時間もの音楽会で、唇《くちびる》に微笑を浮かべ、眼を輝かして、最もひどい困難に――モーツァルトの幼稚なアンダンテ[#「アンダンテ」に傍点]をひくという困難に、首尾よく打ち勝った高名なピアノの名手を、彼は蔑視《べっし》することもあった。――もとより、彼は困難に打ち克《か》つの快楽を否認するものではなかった。彼もまたその快楽を味わったことがあった。それは彼にとって生の歓びの一つであった。しかしながら、その最も物質的な方面のみ見て、芸術上の勇壮心をことごとくそこに限ってしまうことは、彼には滑稽《こっけい》な堕落的なことに思われた。彼は「ピアノの獅子《しし》」や「ピアノの豹《ひょう》」を許容することができなかった。――また彼は、ドイツで名高いりっぱな衒学《げんがく》者にたいしても、あまり寛大ではなかった。彼らは、楽匠らの原作の調子を少しも変えまいと正当に注意し、思想の余勢を細心に抑圧し、あたかもハンス・フォン・ブューロウのように、熱烈な奏鳴曲《ソナタ》を演ずる時にも、語法の教えでも授けてるような調子であった。
歌手らの順番もまわってきた。彼らの粗野な重々しさと田舎《いなか》風の強い語勢について、クリストフはたくさん言うべきことをもっていた。新しい女たる女歌手との最近の葛藤《かっとう》が頭にあるからばかりではなく、自分にとって苦痛だった多くの公演にたいする怨恨《えんこん》があった。そこでは耳と眼とどちらが多く苦しめられるのかわからなかった。醜い舞台装置や不体裁な衣装やけばけばしい色彩などを批評するのに、クリストフは比較の言葉も十分に見出しかねた。人物や身振りや態度の卑俗さ、不自然きわまる演技、他人の魂を装《よそお》うことにおける俳優らの無能さ、やや同じような声の調子で書かれてさえいれば、一つの役から他の役へと彼らが移ってゆく驚くべき無関心さ、それらのことに彼は胸を悪くした。肥満しきった快活|豪奢《ごうしゃ》な婦人らが、代わる代わるイソルデやカルメンに扮装《ふんそう》して現われた。アンフォルタスがフィガロを演じた。しかしクリストフがおのずから最もよく感じたことは、歌の醜いことであって、ことに、旋律の美が本質的要素たる古典的作品における、歌の醜いことであった。もはやドイツではだれも、十八世紀末の完全な音楽を歌うことができなかった。歌おうとつとめる者がなかった。ゲーテの文体のようにイタリー的な光明に浴してるごとく思われる、グルックやモーツァルトの明確素粋な様式――すでに変化し始め、ウェーバーとともに震え揺めき始めた、その様式――クロシアト[#「クロシアト」に傍点]の作者の鈍重な漫画によって滑稽《こっけい》化された、その様式――それはワグナーの勝利によって滅ぼされてしまっていた。鋭い叫びを上げるワルプルギスの荒々しい羽音は、ギリシャの空を覆《おお》うていた。オディンの密雲は光を消滅さしていた。今はもはやだれも、音楽を歌おうと思う者がなかった。人は詩を歌っていた。細部の閑却や醜いものや誤れる音さえも、大目に見のがされていた、ただ作品全体のみが、思想のみが、重要であるという口実のもとに……。
「思想! それについて一言してみよう。なるほど諸君は思想を理解するような顔つきをしている。……しかしながら、諸君が思想を解しようと解すまいと、どうか、その思想が選んだ形式を尊敬してもらいたい。何よりもまず、音楽は音楽であってほしい、音楽のままであってほしい。」
その上、ドイツの芸術家らが表現と深い思想とにたいして払ったと自称する、この大なる注意は、クリストフの意見によれば、おかしな冗談にすぎなかった。表現だと? 思想だと? そうだ、彼らはそれを至る所に――至る所一様に配置していた。毛織の舞踏靴《ぶとうぐつ》の中にも、ミケランジェロの彫刻の中にと同じく――多くも少なくもなく同等に――思想を見出すのであった。だれの作をも、いかなる作をも、同じ力で演奏していた。要するに、多数の人々の考えでは、音楽の本質は――とクリストフは断言した――音量であり音楽的騒音であった。ドイツでかくも強く感ぜられてる歌唱の快楽は、声音的体操の愉悦にすぎなかった。空気で胸をふくらまし、それを元気に力強く長く調子をつけて吹き出すことが、その主眼であった。――そしてクリストフは、賛辞の代わり
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