ひそかに、その新しい音楽の奇怪なのにすこぶる狼狽《ろうばい》してはいたが、しかしまだなんらかの意見をたてる隙《ひま》がなかった。ことに彼らは公衆が意見を吐かないうちは、自分の意見を作ることができなかった。そのうえクリストフの自信ある調子は、ドイツのあらゆる善良な管弦楽団の例にもれず、訓練のとどいた従順なそれらの音楽家らを、すっかり威圧してしまっていた。ただ困難は、女歌手の方から出て来た。彼女は市立音楽会に属する新しい女だった。ドイツにおいてかなり評判の歌手だった。一家の母親である彼女は、ドレスデンやバイロイトにおいて、議論の余地のない豊富な声量で、ブリュンヒルデやクントリーの役を歌っていた。しかし彼女は、ワグナー派について、その派が当然得意としている技術、すなわち、口をぽかんと開いて聞き取れてる聴衆に向かって、子音を空間にころばし棍棒《こんぼう》でなぐりつけるように母音を強調しつつ、りっぱに発音する技術を、よく学んではいたにしろ、自然たらんとする技術を学んではいなかった――当然のことではあるが。そして彼女は一語一語にもったいをつけた。どの語も強調された。綴《つづ》りが鉛の靴底《くつぞこ
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