いるのはもっともである)――をもってる者は一人もいなかった。すると、それまで呑気《のんき》でにこやかだったモデスタは、死にたく思うほどの絶望に陥った。彼女は食事をすることも肯《がえ》んぜず、朝から晩まで泣いてばかりいた。夜もなお床の中で彼女の嘆くのが聞かれた。人々はもうどうしていいかわからなかった。彼女といっしょに悲嘆するのほかはなかった。すると彼女はますます泣くばかりだった。皆もついには彼女の愁訴をもてあました。それからしかりつけた。彼女は運河に身を投げてやると言った。時々牧師がやって来た。神様のことだの、永遠の事柄だの、今の苦しみを忍びながら彼世《あのよ》で得られる仕合わせなどを、話してきかした。しかしそれは彼女を少しも慰めなかった。ある日、ゴットフリートがやってきた。モデスタはかつて彼にあまり親切にしてやらなかった。彼女は悪意はもたなかったが、しかし人を軽蔑《けいべつ》しがちだった。そしてまた、深く考えることがなく、笑い好きだった。彼女は彼に向かって、ありったけの意地悪をしていた。ところで、彼は今彼女の不幸を知ると、ひどくびっくりした。けれどもその様子を少しも見せなかった。彼は彼女のそばに行ってすわり、彼女の災難には少しも言葉を向けず、以前と同じように落ち着いて話しだした。気の毒だという一言も発しなかった。彼女の盲目に気づいてもいないがようなふうだった。ただ彼は、彼女が見ることのできない事物は少しも話さなかった。彼女がそういう状態で聞いたり気づいたりし得る事柄だけを話した。しかもそれを当然なことのように単純にやっていた。彼自身もまた盲目であるかのようだった。最初彼女は耳も貸さないで泣きつづけていた。しかし翌日になると、いくらか耳を傾けるようになり、少しは口をききさえした……。
「そして、」と母親は話をつづけた、「あの人が娘にどんなことを言ったのか私は知りません。乾草の始末をしなければなりませんでしたし、娘にかまってる隙《ひま》がありませんでした。晩になって、私どもが畑から帰ってきますと、娘は静かに話をしていました。それからだんだんよくなってきました。自分の不幸を忘れてるようでした。けれどもやはり時々はまた始まることがありました。涙を流したり、ゴットフリートへ悲しい事柄を話そうとしたりしました。けれどもゴットフリートは聞こえないふうをしました。娘を慰め面白がらせるような事柄を、おだやかに話しつづけました。娘は災難にあってからもう少しも家から出ようとしませんでしたが、とうとうあの人に勧められて外を歩いてみる気になりました。あの人は娘を連れて、初めは庭のまわりを少し歩かしただけでしたが、次には畑の方へ長く歩かしてくれました。そして今ではもう娘は、眼が見えるのと同じに、どこへ行ってもわかりますしなんでも知るようになりました。私どもが気にも止めない事柄を見て取ります。以前は自分に縁遠い事柄には興味をもちませんでしたが、今ではどんなものにも興味をもっています。あの時ゴットフリートは、私どもの家にいつもより長くとどまっていました。私どもは発《た》つのを延ばしてくれとは頼みかねましたが、あの人は娘がもっと落ち着くのを見るまで自分からとどまってくれました。するとある日――娘はあそこに、中庭にいたのですが――私はその笑い声を聞きました。それを聞いて私はどんな気持がしたか、とても申すことはできません。ゴットフリートもたいへんうれしそうな様子でした。ゴットフリートは私のそばにすわっていました。私どもは顔を見合わせました。あなた、私は少しも後ろ暗い思いをしないで申すことができます、私は心からあの人を抱きしめました。するとあの人は私に言いました。
『もう私は出かけていいようだ。私がいなくても済むようになったから。』
私は引き止めようとしました。けれどあの人はこう言いました。
『いや、もう私は出かけなけりゃならない。これ以上とどまってはいられない。』
だれも知ってるとおり、あの人は彷徨《さまよ》えるユダヤ人に似ていました。一つ所に住んでることができませんでした。無理に引き止めるわけにもゆきませんでした。そしてあの人は出かけました。けれども、前よりはしばしばここを通るように都合してくれました。そのたびごとにモデスタは大喜びをしました。あの人が来てくれたあとでは、きっと前よりもよくなっていました。家の仕事にかかるようになりました。兄が結婚してからは、子供たちの世話をしてくれます。今ではもう決して愚痴をこぼしませんし、いつも楽しそうにしています。娘は眼が見えてもこんなに幸福でいられるだろうかと、私は時々思うことがあります。ええそうですとも、娘のようになって、賤《いや》しい人たちや悪い事柄が眼につかなくなる方がいいと、そんな考えが起こる日はよくあるではあ
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