えてたのに気づいた。彼はこの憐《あわ》れな叔父のことをもう長い間考えたことがなかった。そして、今|執拗《しつよう》にその思い出が浮かんでくるのはなぜだかを怪しんだ。澄み切った運河に沿って白楊樹《はくようじゅ》の並木道をたどりながら、その思い出がしきりに浮かんできた。あまりにその面影が眼先にちらつくので、大きな壁の角を曲がったりすると、叔父が向こうからやって来はすまいか、などと思われた。
空は曇った。霰《あられ》交りの激しい驟雨《しゅうう》が降りだして、遠くで笛が鳴った。クリストフはある村落に近づいていた。人家の薔薇色《ばらいろ》の正面や赤い屋根などが、木の茂みの間に見えていた。彼は足を早めて、最初の家の庇《ひさし》の下に身を避けた。霰が隙間《すきま》もなく落ちていた。あたかも鉛の粒のように、屋根に音をたて往来にはね返っていた。轍《わだち》には雨水がいっぱいになって流れていた。光り輝く恐ろしい帯を広げたような虹《にじ》が、花の咲いた果樹園から横ざまに、青黒い雲の上にかかっていた。
戸の入口に一人の若い娘が、立ちながら編み物をしていた。彼女は親しく、クリストフにはいれと言った。彼はその勧めに従った。はいって行くとその室は、台所と食堂と寝室とに兼用されてるものだった。奥には盛んな火の上に鍋《なべ》がかかっていた。野菜を選《え》り分けていた百姓女が、クリストフに挨拶《あいさつ》をして、火のそばに寄って服を乾《かわ》かせと言った。若い娘は葡萄酒《ぶどうしゅ》の瓶《びん》を取って来て、彼に飲ましてくれた。そしてテーブルの向こう側にすわって、編み物をつづけながら二人の子供に気を配っていた。子供たちは、田舎《いなか》でどろぼう[#「どろぼう」に傍点]とかえんとつや[#「えんとつや」に傍点]とか言われている草の穂を、頸《くび》につっ込み合って遊んでいた。娘はクリストフと話しだした。やがて彼は、彼女が盲目であることに気づいた。彼女は少しも美しくはなかった。頬《ほお》の赤い、歯の白い、丈夫な腕をした、たくましい娘だったが、顔だちは整っていなかった。多くの盲人に見るような、やや無表情なにこやかな様子をしていた。また盲人通有の癖として、あたかも眼が見えるように事物や人物のことを話した。いい顔色をしていらっしゃるとか、今日は野の景色がたいへんいいとか言われると、初めのうちクリストフは惘然《ぼうぜん》として、なんの冗談かと怪しんだ。しかしその盲目の娘と野菜を選り分けてる女とを、代わる代わる見比べたあとには、それも驚くに当たらないことを知った。二人の女は、どこから来たか、どこを通って来たかなどと、親しくクリストフに問いかけた。盲目娘はやや大袈裟《おおげさ》にはしゃいで、話に口を出していた。道路や野に関するクリストフの観察を、承認したり注釈したりした。もとより彼女の言葉はしばしば的をはずれていた。彼女は彼と同様によく眼が見えると思い込みたがってるらしかった。
家族の他の人たちが帰ってきた。三十歳ばかりの頑丈《がんじょう》な農夫とその若い妻とだった。クリストフは皆と代わる代わる話した。そして晴れゆく空をながめながら、出かける時を待っていた。盲目娘は編み物の針を運びながら、ある唄《うた》の節《ふし》を小声で歌っていた。その節は、クリストフに種々の古い事柄を思い起こさした。
「おや、あなたもそれを知ってるんですか。」と彼は言った。
(ゴットフリートがクリストフにそれを昔教えたのであった。)
彼は続きを低く歌った。若い娘は笑いだした。彼女は唄の前半を歌い、彼は愉快にそのあとを終わりまで歌った。彼は立ち上がって天候を見に行った。そしてなんの気もなく室の中を隅々《すみずみ》まで見渡すと、戸棚《とだな》のそばの角のところに、ある物を見つけてはっとした。それは頭の曲がった長い杖《つえ》で、粗末な彫刻を施した柄《え》は、身をかがめてお辞儀してる小さな男を現わしていた。クリストフはそれをよく知っていた。昔それで子供心に遊んだことがあった。彼は杖に飛びつき、息つまった声で尋ねた。
「どうして……どうしてこれをおもちですか。」
男は彼をながめて言った。
「友だちが残していったんです、亡《な》くなった古い友だちが。」
クリストフは叫んだ。
「ゴットフリートですか。」
皆彼の方をふり向きながら尋ねた。
「どうして御存じですか。」
クリストフが、ゴットフリートは自分の叔父《おじ》だと言うと、人々は皆びっくりした。盲目娘は立ち上がった。毛糸の玉が室の中にころがった。彼女は編み物をふみつけながらやって来て、クリストフの手をとってくり返した。
「あなたが甥《おい》ごさんですか。」
皆が一度に口をきいていた。クリストフの方でも尋ねた。
「でもあなた方は、どうして……どうして御存じ
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