!……
 彼はふたたびクリストフの手を取って、毛深い指のある大きな手のひらの中で、それをなで回した。彼は驚くはどでっぷり太っていて、またその割合に背も高かった。四角な頭、短く刈った褐色《かっしょく》の髪、痘痕《あばた》のある無髯《むぜん》の顔、太い眼、太い鼻、太い唇《くちびる》、二重|頤《あご》、短い首、恐ろしく大きな背中、樽《たる》のような腹、胴体から分かれ出てる腕、馬鹿に大きな手足、食物とビールとを取り過ぎて変形した巨大な肉塊、それはあたかも、煙草の鑵《かん》のような人間だった。バヴァリアの町に行くと、そういう人間が通りをぶらついてることがある。籠《かご》の中の鶏に施すのと同じような飽食の方法によってでき上がった一種の人種、その秘訣《ひけつ》を彼らは保持しているのである。ポットペチミットは喜びと暑さとのために、バタの塊《かたまり》みたいに光っていた。そして自分の開いてる膝《ひざ》に、あるいは隣りの者の膝の上に、両の手を置いて、飽かずに口をききながら、弩《いしゆみ》のような強さで子音を空中にころがしていた。時々大笑いをしては、全身を揺ぶった。頭を後ろに反り返らして、口を開き、鼻や喉《のど》に息をはずませ、胸をつまらしていた。その笑いはシュルツやクンツにも伝わった。二人は笑いの発作が済むと、眼の涙をふきながらクリストフをながめた。あたかも彼に尋ねるがような様子だった。
「ねえ……この男をどう思われます?」
 クリストフはなんとも思ってはいなかった。ただ彼は気味悪く考えていた。
「この化《ば》け物が俺《おれ》の音楽を歌うのかな。」
 一同はシュルツの家へもどった。クリストフはポットペチミットの歌を避けたがっていた。聞かせたくてたまらないでいるポットペチミットがほのめかしても、彼はなんとも言い出さなかった。しかしシュルツとクンツとは、その友を自慢にしたい心でいっぱいだった。仕方がなかったので、クリストフはかなり厭々《いやいや》ながらピアノについた。彼はこう考えていた。
「このお人よしめが! どういう目に会うか知らないんだな。用心するがいい。少しも容赦はしないぞ。」
 彼はシュルツに心配をかけるだろうと考え、それが気の毒になった。それでも彼は、このジョン・フォルスタフのような男から自分の音楽が台なしにされるのを我慢するよりは、むしろシュルツに心配をかけたって構わないと決心した。ところが、シュルツに心配をかけるのを恐れるには及ばなかった。大男はすてきな声で歌った。最初の小節からして、クリストフは驚きの身振りをした。彼から眼を離さなかったシュルツは、身を震わした。クリストフが不満足に思ってると考えたのだった。そして彼がようやく安心したのは、弾《ひ》き進むに従ってクリストフの顔がますます輝いてくるのを見てからだった。彼自身もその喜びの反映を受けて晴れやかになっていった。その楽曲が終わり、自分の歌曲[#「歌曲」に傍点]がこんなによく歌われたのをかつて聞いたことがないと叫びながら、クリストフが振り向いた時、シュルツの歓《よろこ》びは、満足してるクリストフの歓びよりも、得意げなポットペチミットのそれよりも、さらに楽しい深いものだった。なぜなら、二人は自分自身の愉快だけしか感じてはいなかったが、シュルツは二人の友の愉快を感じていたのだから。演奏はなおつづいていった。クリストフは驚嘆していた。この重々しい平凡な男が、どうして自分の歌曲[#「歌曲」に傍点]の思想を現わし得るかを、彼は了解できなかったのである。もとより、正確な色合いがすっかり出てはいなかった。しかし、彼がかつて専門の歌手らに完全に吹き込むことのできなかった、溌剌《はつらつ》さが熱情が現われていた。彼はポットペチミットをながめ、いぶかっていた。
「ほんとうに感じてるのかしら。」
 しかし彼は相手の眼の中に、満足してる驕慢《きょうまん》心の炎以外に、なんらの炎をも認めなかった。無意識的な一つの力がその重い肉塊を動かしていた。その盲目的な消極的な力は、相手も知らず理由も知らないで戦う軍隊に似ていた。歌曲[#「歌曲」に傍点]の精神はその力をとらえ、その力は喜んで服従していた。ただ活動したかったからである。自分一人に任せられると、どうしていいかわからなかったであろう。
 クリストフは考えた。宇宙の偉大なる彫刻家はその創造の日において、形のでき上がった被造物の離れ離れの各部を整頓《せいとん》することには、あまり心を用いなかったに違いない。いっしょに集まってうまくゆくようにできてるかどうかには頓着《とんじゃく》なく、ともかくも各部をくっつけてみたのだ。それで各人は、あらゆる方面から来た断片で作られることになった。そしてまた、同一人が別々な五、六人の中に分散することとなった。頭脳はある者の中にはいり、
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