トフはそれを横目で見やって、笑いたくなった。彼はもう許してやっていた。彼は決して真面目《まじめ》に怒るつもりではなかった。この憐《あわ》れな老人を悲しませるのは畜生にも等しいとさえ思っていた。しかし彼は自分の力を濫用したのであって、また、前言を翻す様子をしたくなかったのである。彼らは森を出るまでそのままの状態だった。聞こえるものはただ、当惑してる二人の老人の引きずるような足音ばかりだった。クリストフは口笛を吹いて、二人の方を見ないふうをしていた。とにわかに、彼はたまらなくなった。彼は放笑《ふきだ》して、シュルツの方へ振り向き、丈夫な手でその両腕をつかんだ。
「ああ、シュルツ!」と彼はやさしげにその顔をながめながら言った、「いいですね、いいですね!……」
彼は景色と天気とのことを言ってるのだった。しかし笑ってる彼の眼はこう言ってるがようだった。
「あなたはいい人だ。僕は乱暴者だ。勘弁してください。僕はあなたが大好きだ。」
老人の心は解けた。日食のあとにまた太陽が出たようなものだった。一瞬間待たなければ言葉を発することができなかった。クリストフはまた彼の腕をとって、このうえもなく親しげに話しだした。夢中になったあまり足を早めて、二人の連れをへとへとにならしてることは気にも止めなかった。シュルツは不平をこぼさなかった。疲れをさえ気づかないほど満足していた。今日一日の不用心な行ないのために、やがてひどい目に会うことも知ってはいた。しかしこう考えていた。
「明日にとっては災難だ! けれど彼が発《た》ってから、身体を休める隙《ひま》は十分あるだろう。」
しかしクンツは、それほど興奮してはいないで、かわいそうな顔つきをして十五、六歩あとからつづいていた。クリストフはようやくそれに気づいた。彼は恐縮して詫《わ》びた。そして牧場の白楊樹《はくようじゅ》の影に寝そべろうと言いだした。シュルツはもとより承知した。それが自分の気管支炎にさわるかどうかも考えなかった。幸いにも、クンツは彼に代わってそのことを考えてくれた。もしくは少なくとも、汗びっしょりになってる自分の身体を牧場の冷気にさらさないために、それを口実とした。次の停車場から汽車に乗って町へ帰ろうと提議した。それに一決された。彼らは疲れていたけれども、乗りおくれないために足を早めなければならなかった。そしてちょうど汽車がはいってくる時に停車場へ着いた。
彼らの姿を見て、一人のでっぷりした男が、車室の入口に飛び出してき、狂人のように両腕を振り動かしながら、あらゆる肩書をくっつけてシュルツとクンツの名前を吼《ほ》えたてた。シュルツとクンツとの方でもまた、両腕を競り叫びながらそれに答えた。二人はその大男の車室へ駆けつけ、大男の方でも、他の乗客らをつきのけながら駆け寄ってきた。クリストフは呆気《あっけ》に取られて、二人をあとから追っかけてゆきながら尋ねた。
「なんですか。」
二人は雀躍《こおどり》しながら叫んでいた。
「ポットペチミットだ!」
その名前は、彼には大した感じを与えなかった。彼は午餐のおりの祝杯のことを忘れていた。ポットペチミットは客車の入口に立ち、シュルツとクンツとは踏段の上に立って、やかましくしゃべりたてていた。彼らはその幸運に感激していた。皆が汽車に乗ると、汽車はすぐに出た。シュルツは紹介してやった。ポットペチミットはにわかに石のように顔を引きしめ、棒杭《ぼうくい》のように堅くなって、お辞儀をし、一通りの挨拶《あいさつ》を済ますや否や、クリストフの手に飛びついて、それをもぎ取ろうとでもするように五、六度打ち振り、そして叫び出した。クリストフはその叫び声のうちに、彼がこの奇遇を神と運命とに感謝してることを見て取った。それでも彼はすぐあとで、腿《もも》をたたきながら、ちょうど先生[#「先生」に傍点]の御到着のおりに、町から出かけていた――かつて町から出かけたことのない自分が出かけていた――不運を、ののしらずにはいなかった。シュルツの電報は、その朝汽車が出て一時間後にしか、彼の手に渡らなかった。電報が着いた時彼は眠っていて、人々は彼を起こさない方がいいと思ったのだった。それで彼は朝じゅう、旅館の者らにたいして怒りたっていた。今もまだ怒りたっていた。彼は患者筋の人々を追い帰し、用件の面会を断わり、帰りを急いで手当たり次第の汽車に乗った。しかしこのやくざな汽車は、本線と連絡していなかった。ポットペチミットはある駅で、三時間も待たなければならなかった。そこで彼は、知ってる限りの憤慨の言葉を言い尽くし、自分と同じように待たされてる乗客やまた駅夫などに、幾度となく自分の不運を物語った。ついに汽車が出た。彼はもう間に合わないかと恐れていた。……しかし、ありがたいことには、ありがたいことには
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