りに不愉快な価を払って得らるべきものであるとしたら、彼がそんなものに係《かか》わり合わない方が彼女にはずっと好ましかった。彼女はクリストフが宮廷と仲|違《たが》いしたことについて、事件そのものよりも彼の苦しみの方をより多く心配した。そして心の底では、彼が雑誌や新聞の連中と喧嘩《けんか》したことを喜んでいた。彼女は不徳な新聞雑誌にたいして、田舎者らしい不信をいだいていた。それらに関係することは、ただ時間を浪費し人の嫌悪《けんお》を招くのに役だつばかりだった。彼女は時々、雑誌の同人たる青二才どもがクリストフと話してるところを聞いた。そして彼らの人の悪さに怖《おそ》れを感じた。彼らは何事も痛烈に非難し、何事についてもひどいことを言っていた。ひどいことを言えば言うほど満足していた。彼女には彼らを愛せられなかった。彼らは確かにきわめて怜悧《れいり》で学者ではあった。しかしいい人ではなかった。で彼女は今や、クリストフがもう彼らと会わないことを喜んだ。彼らに用があるもんか、というクリストフの意見に彼女は同意だった。
「彼らは僕について、勝手なことを言ったり書いたり考えたりするがいい。」とクリストフは言っていた。「彼らは僕が僕自身たることを妨げ得はしない。彼らの芸術、彼らの思想、それが僕に何になるものか。僕はそれを否定してやる!」
世間を否定するのはきわめて痛快なことである。しかし世間は青年の放言壮語によってたやすく否定されるものではない。クリストフは真面目《まじめ》だった。しかし彼は自惚《うぬぼ》れていて、自分をよく知らなかった。彼は僧侶ではなかった。世間を見捨てる気性ではなかった。ことにそれだけの年齢に達していなかった。彼は最初のうちはあまり苦しまなかった。作曲に没頭していた。そしてその仕事がつづいてる間、なんらの不足も感じなかった。しかし、一つの作品が完成してから他の新しい作品が精神を奪うまでの間うちつづく、悄沈《しょうちん》の時期にはいった時、彼は周囲を見回して自分の孤独に慄然《りつぜん》とした。なんのために書いたかを彼は怪しんだ。書いてる間はそういう疑問は起こるものではない。ただ書かなければならない。それは議論のほかである。ところが次に、生まれた作品と顔を合わせる。作品を臓腑《ぞうふ》から迸《ほとばし》り出させた強い本能は沈黙してしまっている。なんのために作品が生まれたのかもうわからない。作品のうちに自分の姿を認めることもなかなかできない。それはほとんど見知らぬ者である。できるならば忘れてしまいたくなる。しかも、作品が発表されるか演奏されるかしないうちは、世の中の独自の生活を得ないうちは、忘れることは不可能である。そうなるまでは、作品は母体に結びつけられてる赤児《あかご》であり、生きた肉体に鋲《びょう》付けされてる生けるものである。生きんがためには、それを切断しなければいけない。クリストフが多く作曲すればするほど、彼から生まれ出て生きることも死ぬこともできないでいるそれら生物の圧迫が、彼のうちに増大していった。だれがこの圧迫から彼を解放してくれるであろうか。一つの人知れぬ力が、それらの彼の思想の児らを突き動かしていた。風に運ばれて宇宙に広がる根強い種子のように、それらは彼から離れて他の魂の中に広がろうと、むりやりに切望していた。クリストフは無生産のうちに閉じこもっていなければならないのであろうか? そんなことだったら彼は憤激するに違いなかった。
あらゆる出口は――芝居も音楽会も――彼にたいして閉ざされていたし、また彼は、一度拒絶された支配人らに新たな申し込みをするほど、どんなことがあっても身を屈したくなかったので、今はもはや、書いたものを出版するだけの方法しか残っていなかった。しかしながら彼は、自作を演奏してくれる管弦楽団よりも、自作を出版してくれる本屋の方が見出しやすいとは、自惚《うぬぼ》れることができなかった。いかにも拙劣な二、三の運動を試みたが、それだけでもう明瞭《めいりょう》だった。彼は新たな拒絶に出会ったり、あるいはそれらの商売人と議論し彼らの保護者的な態度を我慢するよりは、むしろ自費出版の方法を取った。それは狂気の沙汰《さた》だった。彼は宮廷の給料や音楽会などから得た少しの貯蓄をもっていた。しかし今はそれらの財源がすべて涸《か》れていて、他の財源を見出すまでには長くかかるかもしれなかった。十分慎重な態度を取って、当面の困難な時期を過ごす助けとなるべきその小貯蓄は、節約しておかなければいけなかった。ところが、彼はそうしなかったばかりではなく、その貯蓄では出版費用に足りなかったので、平気で借金をした。ルイザはなんとも言い兼ねた。彼女は彼を無鉄砲だと思い、また、書物の上に自分の名前を見るために金を費やす理由がよくわからな
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