れを見て彼女は、彼を野蛮なチュートン人だとし、彼のために骨折るのはまったく無駄なことだと言った。
 二人はいっしょに小さな客間へ上がっていった。そこには食卓が用意されていた。彼とコリーヌとの食器があるばかりだった。仲間の人たちはどこへ行ったのかと、彼は尋ねないではいなかった。コリーヌは平気な身振りをした。
「知らないわ。」
「いっしょに食事をしないんですか。」
「ええちっとも。芝居で顔を合わせるだけでたくさんよ。……ほんとに、食卓でまでいっしょにいなけりゃならないとしたら!……」
 それはドイツの習慣とはまるで異なっていた。彼は驚くとともに面白く思った。
「あなたたちは、」と彼は言った、「社交的な国民だと思っていたが。」
「そんなら、」と彼女は言った、「私は社交的でないんでしょうか。」
「社交的というのは、社会のうちに生活するということです。こちらでは、たがいに顔を合わせなければなりません。男も女も子供も、生まれた日から死ぬ日まで、それぞれ社会の一部をなしている。すべては社会のうちでなされる。人は社会とともに食ったり歌ったり考えたりする。社会が嚔《くしゃみ》をすれば、人もそれとともに嚔をする。一杯のビールを飲むのにも、社会とともに飲むんです。」
「それは面白いに違いないわ。」と彼女は言った。「同じ杯で飲んだらいいわ。」
「親密でしょう。」
「親密なんてそんな! 私は好きな人となら兄弟になってもいいし、そうでない人とはごめんだわ……。おう嫌《いや》だ、そんなのは、社会じゃなくて、蟻《あり》の巣よ。」
「僕もあなたに同意です。だからこちらで僕がどんな気持かわかるでしょう。」
「では私の国へいらっしゃいよ。」
 それは彼の望むところだった。彼はパリーやフランス人のことについて尋ねた。彼女は種々聞かしてやった。それは完全に正確なものではなかった。南欧婦人の大袈裟《おおげさ》な自慢癖のうえに、相手を幻惑しようという本能的な欲求が加わっていた。彼女の言うところによれば、パリーではだれも皆自由だった。そしてパリーでは皆|怜悧《れいり》なので、各人が自由を利用し、一人としてそれを濫用する者がなかった。各自に好きなことをし、勝手に考え信じ愛し、もしくは愛しなかった。だれもそれに言い分はなかった。そこでは、他人の信仰に立ち入る者はいないし、他人の良心を探偵《たんてい》する者はいないし、他人の思想を抑制する者はいなかった。そこでは、政治家が文芸美術に干渉することがなく、情誼《じょうぎ》や恩顧で勲章や地位や金銭を分かつことがなかった。そこでは、会の名によって評判や成功が左右されることなく、新聞雑誌記者が買収されることなく、文学者が勝手に自惚《うぬぼ》れ返ることはなかった。そこでは、批評界が無名の秀才を圧迫することもなく、知名の士におもねることもなかった。そこでは、成功が、いかに価値ある成功でもが、それを得る手段をすべて正当化することなく、また民衆の崇拝を左右することがなかった。人気は穏和で丁重で親切だった。交誼《こうぎ》はいかにも滑《なめ》らかだった。決して人の悪口が聞かれなかった。人はたがいに助け合っていた。いかに新参な者でも価値さえあれば、かならず喜んで迎えられ、平らかな前途が見出されるのだった。美《うる》わしいものにたいする純なる愛情が、それら任侠《にんきょう》公平なフランス人の魂に満ちていた。そして彼らの唯一の滑稽《こっけい》な点は、その理想主義にあるのであって、そのために彼らは、世に知られた敏才をもってるにもかかわらず、他の国民から欺かれることがあるのだった。
 クリストフは呆気《あっけ》に取られて聞いていた。実際、感嘆すべき点が多かった。コリーヌ自身も、自分の言葉を聞きながら感嘆していた。過去の生活の困難だったのについて前日クリストフに話したことなんかは、すっかり忘れてしまっていた。彼も同様にそんなことは思い出してもいなかった。
 けれどもコリーヌは、自分の祖国をドイツ人に愛させようと努めてるばかりではなかった。自分自身をも愛させようと望んでいた。親昵《しんじつ》のない一晩は、彼女にとってはしかつめらしくやや滑稽《こっけい》に思われたに違いない。彼女はクリストフにふざけないではおかなかった。しかしそれは徒労だった。彼はさらに気づかなかった。彼は親昵のなんたるやを知らなかった。彼は愛するか愛しないかであった。愛しない時には、恋愛のことなんかは頭にも浮かべなかった。彼はコリーヌにたいして、強い友情をいだいていた。彼にとってはいかにも珍しい南欧人の性質、そのやさしい愛嬌《あいきょう》、その晴れ晴れとした気分、その活発自由な知力に、彼は魅せられていた。そこにはもちろん、愛するためにあり余るほどの理由があった。しかし「人の心の風は己《おの》がままに
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