女に望みをかけていた。そして魅力はつづいた。彼は彼女を公平に判断することはできなかった。彼女の有する美点はすべて、彼女にのみ属するもののように、彼女の全体であるように、彼には思われた。彼女の有する卑俗な点はすべて、彼女のユダヤとドイツとの二重な民族に、彼は帰せしめていた。そしておそらく彼は、ユダヤ民族よりもドイツ民族の方にいっそう多く、その恨みをいだいていたに違いない。なぜならドイツ民族にたいしていっそう多くそれを苦しまねばならなかったから。彼はまだ他のいかなる国民をも知らなかったので、ドイツ精神は彼にとって一種の替罪羊《みがわりひつじ》であった。彼はそれに世界のあらゆる罪を負わしていた。ユーディットが彼に与えた失望の念は、彼にとっては、ますますドイツ精神を攻撃する理由となった。かかるりっぱな魂の自由な勢いをくじいたことを、彼はドイツ精神に許せなかった。
 そういうのが、イスラエル民族と彼との最初の邂逅《かいこう》であった。他の民族と乖離《かいり》してるこの強健な民族のうちに、彼はおのれの戦いの味方を見出し得ることと思っていた。ところがその望みを彼は失った。この民族は人から聞いたところよりずっと弱いものであり、外部の影響にずっと染《し》みやすい――あまりに染みやすい――ものであるということを、いつも極端から極端へ彼を走らせる熱烈な直覚力の変易性によって、すぐに思い込んでしまった。この民族は本来の弱さと、その途上に積もっていた世界のあらゆる弱さとを、皆になっているのだった。クリストフがおのれの芸術の槓桿《こうかん》をすえるべき支点を見出し得るのは、まだここでではなかった。否彼はこの民族とともに、砂漠《さばく》の砂の中に埋没しかかったのである。
 彼はその危険を見て取り、またその危険を冒すだけの自信を感じなかったので、マンハイム家を訪れるのをにわかにやめた。幾度も招かれたが、理由も述べずに断わった。彼はその時までいつも熱心に来たがってばかりいたので、かく急激な変化は人目についた。人々はそれを彼の「風変わりな性質」のゆえだとした。しかしマンハイム家の三人は一人として、ユーディットの美しい眼がそれに関係あることを疑わなかった。そしてこのことは、食卓でロタールとフランツとの揶揄《からかい》の種となった。ユーディットは肩をそびやかしながら、見事な征服でしょうと言った。そして冷やかに兄へ向かって、「冗談もいい加減にしてください」と頼んだ。しかし彼女はクリストフがまたやって来るようにと種々仕向けた。だれに聞いてもわからないある音楽上の質疑を解いてくれという口実で、彼に手紙を書いた。そして手紙の終わりに、彼があまりやって来ないことや彼に会うのを楽しみとしてることなどを、親しげにそれとなく匂《にお》わした。クリストフは返事を書き、質疑に答え、多忙なことを告げ、そして姿を見せなかった。二人は時々芝居で出会うことがあった。クリストフは執拗《しつよう》に、マンハイム家の桟敷《さじき》から眼をそらした。そして最もあでやかな笑顔を彼に見せようとしてるユーディットに、気づかないふうを装《よそお》った。彼女は固執しなかった。そして彼に愛着してはいなかったので、この少壮芸術家からまったく無駄《むだ》な骨折りをさせられたことを、不都合だと考えた。彼はまた来たくなったら来るだろう。来たくなかったら――なあに、そんな者は来なくても構わない……。
 彼が来なくてもよかった。実際彼がいなくても、マンハイム家の夜会には大きな穴があかなかった。しかしユーディットは、心にもなくクリストフに恨みをいだいた。彼がそばにいる時には、彼女は彼を気にかけなくてもそれを当然だと思っていた。そして彼がそれを不快に思ってる様子を示しても、許してやっていた。しかしその不快の念があらゆる関係を破るまでに進んだことは、馬鹿げた傲慢《ごうまん》心と恋心よりもいっそう利己的な心とのゆえだと、彼女には思われた。――ユーディットは自分と同じ欠点を他人がもっている場合には、その欠点を許容しなかった。
 それでも彼女は、クリストフがなすことや書くものをいっそうの注意で見守《みまも》った。様子にはそれと見せずに、好んで兄にその話をさした。クリストフとともに過ごした一日じゅうの会話を、兄に語らした。その話の合い間に、皮肉な意見をはさんで、一つの滑稽《こっけい》な点をも容赦せずに取り上げ、かくて次第に、クリストフにたいするフランツの感激をさましていった。フランツはそれに気づかなかった。

 最初の間、雑誌では万事うまくいった。クリストフはまだ、同人らの凡庸さを洞見《どうけん》していなかった。そして彼らの方は、クリストフが仲間であるから、その天才を認めていた。彼を見出したマンハイムは、彼の書いたものを何一つ読んだことも
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