の句にもとづいて書かれたものであった。それをクリストフは通俗|叢書《そうしょ》の中で読んだことがあって、その誠直さを愛してるのだった。ことに二人の詩人は、兄弟のように親しく思われた。二人とも天分が豊かであったが、ともに三十歳で死んでいた。一人はパウル・フレミンクという愉快な詩人で、コーカサスやイスパハンへ自由な旅を試み、戦争の野蛮や生活の悲哀や時代の腐敗などの中にあって、純潔な愛情深い清朗な魂を失わなかった人である。も一人はヨハン・クリスチアン・ギュンテルという放肆《ほうし》な天才で、風のままに放浪しながら、暴飲と絶望とに身を焦がした人である。クリストフはギュンテルから、彼を圧倒する敵なる神にたいする挑戦と復讐《ふくしゅう》的反語との叫びを、打倒されながら天に雷電を投げ返すタイタンの恐ろしい呪《のろ》いを、くみ出したのであった。そしてフレミンクからは、アネモネやバジレネへ寄する花のように香ばしくやさしい恋の歌、――また澄み切った楽しい心の舞踏歌《タンツリード》たる星のロンド、――またクリストフが朝の祈祷《きとう》のように諳誦《あんしょう》していた自身へ[#「自身へ」に傍点]という悲壮な落ち着いた短詩《ソンネット》、などを取って来たのであった。
敬虔《けいけん》なパウル・ゲルハルトのやさしい楽観主義もまた、クリストフを魅していた。それは彼にとって、悲しみから脱したおりの休息だった。神のうちにある自然のその清浄な幻像を、彼は愛していた。砂の上を歌い流れる小川のほとり、白いチューリップや水仙《すいせん》の中を、鵠《こう》の鳥が堂々と歩を運んでる新鮮な牧場、大きな翼の燕《つばめ》や鳩《はと》の群れが飛んでる澄みわたった空気、雨間を貫く日光の楽しさ、雲間に笑う輝いた空、夕の厳《おごそ》かな清朗さ、森や家畜や町や野の休らい、などを彼は愛していた。今もなお新教の教会で歌われてるそれら聖歌の多くを、彼は無遠慮にも音楽に直した。そしてその賛美歌的性質を残すまいと用心した。否残さないだけではなかった。ひどい性質に変えてしまった。それらに自由な生き生きとした表情を与えた。定めし老ゲルハルトは、自分のキリスト教徒の旅人の歌[#「キリスト教徒の旅人の歌」に傍点]のある節から今発している悪魔的な傲慢《ごうまん》心や、自分の夏の歌[#「夏の歌」に傍点]の平和な流れを急湍《きゅうたん》のようにみ
前へ
次へ
全264ページ中144ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング