ては、ワグナーは純アリアン的な典型であり、ドイツ民族は、ラテンのセム精神ことにフランスのセム精神の腐敗的影響から、少しも侵されることのない避難所であった。不純なゴール精神の決定的な敗滅を、彼は宣言していた。それでもやはり、あたかも永遠の敵の脅威を常に感じてるかのように、毎日激しい戦いをつづけていた。彼はフランスにただ一人の偉人をしか認めなかった。それはゴビノー伯爵であった。クリングは小さな老人で、きわめて小柄で、きわめてていねいで、処女のようにすぐ顔を赤らめた。――ワグナー協会のも一人の柱石は、エーリッヒ・ラウベルといって、四十歳まである化学工場の支配人をしてた男だった。その後彼はすべてをうち捨てて、管絃楽長になってしまった。なり得たのは意志の力にもよるし、また富裕だからでもあった。彼はバイロイトにたいする狂信者だった。ミュンヘンからバイロイトまで巡礼の草鞋《わらじ》をはいて徒歩で行ったこともあるそうである。おかしなことだがこの男は、非常に読書をし、非常に旅をし、種々の職業をやり、そして至る所で精力的な人物だということを示していたのに、音楽上においては、まったくパニュルジュの羊となってしまった。あらゆる独創の才を用いつくしながら、他人より少し愚かな地位だけをようやく保ち得た。音楽上ではあまりに自信が乏しかったので、自分の感情に頼ることができないで、音楽長やバイロイトの免許者らがワグナーについて与えてくれる注解を、唯々《いい》諾々として傾聴していた。ヴァーンフリートのワグナー官邸の粗野幼稚なる趣味に合致する、舞台装置や多彩な衣裳などのごとく些細《ささい》な点までも、そのとおりに真似《まね》たいと思っていた。世にはミケランジェロの狂信者がいて、師の作を模写する場合に黴《かび》までも写し取り、神聖な作品の中にはいってきてるということによって、その黴をも神聖なものと見なすことがあるが、ラウベルもまたそういう狂信者と同様だった。
 クリストフには、これら二人の人物があまり好ましく思えるはずはなかった。しかし彼らは二人とも、かなり教養のある親切げな社交的な男であった。そしてラウベルの会話は、音楽以外の話題になると面白かった。そのうえ彼は変わり者だった。変わり者はクリストフにとってはあまり不快でなかった。几帳面《きちょうめん》な人々のたまらない凡俗さから、彼の気分を転じさしてくれ
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