に親しみやすかった。少なくとも、りっぱな音楽会をやるという口実があった。そしてワグナー派の芸術観にことごとく同感ではなかったとは言え、他の音楽団体のいずれよりもそれに接近しがちであった。ブラームスやブラームス派にたいして、自分と同じように不当な態度を示してる一派となら、了解の地歩を見出し得られそうだった。それゆえ彼は紹介されるままに任した。マンハイムが仲介人であった。マンハイムは皆と知り合いだった。音楽家でもないくせに、ワグナー協会の一員になっていた。――協会の幹事は、クリストフが雑誌上で始めた戦いを一々見落とさなかった。またクリストフが敵陣の中でなした若干の演奏は、味方にして働かしたら役にたつだろうということを、力強く立証するもののように彼には思われた。クリストフはまた神聖なる偶像にたいして、不敬な矢を多少放ったこともあった。しかしそのことについては、眼をつぶっておく方がいいと考えられた。――そしてまたおそらく、まだかなり手緩いものであったそれらの最初の攻撃は、クリストフにその上発言する隙《すき》を与えずに急いで引き入れてしまったということに、だれもそうと承認はしなかったが、無関係ではなかったのである。人々はごく丁重に、協会の今後の音楽会に彼の旋律《メロディー》を少し演奏するのを、許してもらいたいと申し込んできた。クリストフはおだてに乗って承諾した。彼はワグナー協会へ出かけて行った。そしてマンハイムから説き勧められて、それに加入してしまった。
このワグナー協会の首領は当時二人あったが、一人は著作家として、一人は管弦楽長として、ともにある程度の名声を有していた。二人ともワグナーにたいして、マホメット教徒的の信仰をいだいていた。前者はヨジアス・クリングといって、ワグナーに関する一辞典――ワグナー辞典[#「ワグナー辞典」に傍点]――をこしらえ、全知全能[#「全知全能」に傍点]なる師の思想を一瞬間に知り得る方便とした。それが彼の畢生《ひっせい》の大事業であった。あたかもフランスの地方の中流人らが、オルレアンの少女[#「オルレアンの少女」に傍点]の歌をすっかり諳誦《あんしょう》するように、彼はその辞典の綱目をことごとく諳誦し得たかもしれない。彼はまたバイロイト日報[#「バイロイト日報」に傍点]に、ワグナーおよびアリアン精神に関する論説を発表していた。言うまでもなく彼にとっ
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