たが》の飛びぬけをやってるのだった。クリストフは彼らを、めかし婆《ばば》、ジプシー、綱渡り、などと呼んでいた。
妙技を有する音楽家らが、豊富な材料を供給してくれた。彼は彼らの奇術的興行を批判することを回避した。彼の言葉に従えば、そういう機械仕掛《からくり》の技芸は、工芸学校に属する手法であって、それらの仕事の価値を評価し得るものは、時間と音数と消費された精力とを記載する図表ばかりであった。時とすると、二時間もの音楽会で、唇《くちびる》に微笑を浮かべ、眼を輝かして、最もひどい困難に――モーツァルトの幼稚なアンダンテ[#「アンダンテ」に傍点]をひくという困難に、首尾よく打ち勝った高名なピアノの名手を、彼は蔑視《べっし》することもあった。――もとより、彼は困難に打ち克《か》つの快楽を否認するものではなかった。彼もまたその快楽を味わったことがあった。それは彼にとって生の歓びの一つであった。しかしながら、その最も物質的な方面のみ見て、芸術上の勇壮心をことごとくそこに限ってしまうことは、彼には滑稽《こっけい》な堕落的なことに思われた。彼は「ピアノの獅子《しし》」や「ピアノの豹《ひょう》」を許容することができなかった。――また彼は、ドイツで名高いりっぱな衒学《げんがく》者にたいしても、あまり寛大ではなかった。彼らは、楽匠らの原作の調子を少しも変えまいと正当に注意し、思想の余勢を細心に抑圧し、あたかもハンス・フォン・ブューロウのように、熱烈な奏鳴曲《ソナタ》を演ずる時にも、語法の教えでも授けてるような調子であった。
歌手らの順番もまわってきた。彼らの粗野な重々しさと田舎《いなか》風の強い語勢について、クリストフはたくさん言うべきことをもっていた。新しい女たる女歌手との最近の葛藤《かっとう》が頭にあるからばかりではなく、自分にとって苦痛だった多くの公演にたいする怨恨《えんこん》があった。そこでは耳と眼とどちらが多く苦しめられるのかわからなかった。醜い舞台装置や不体裁な衣装やけばけばしい色彩などを批評するのに、クリストフは比較の言葉も十分に見出しかねた。人物や身振りや態度の卑俗さ、不自然きわまる演技、他人の魂を装《よそお》うことにおける俳優らの無能さ、やや同じような声の調子で書かれてさえいれば、一つの役から他の役へと彼らが移ってゆく驚くべき無関心さ、それらのことに彼は胸を悪くした。
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