卑しくしていた。傲慢《ごうまん》でありまた種々の理由から傲慢であり得るこのユダヤ女、銀行家マンハイムの、知力すぐれ人を軽蔑《けいべつ》しがちなこの娘は、身を堕《おと》したがっていたし、自分が軽蔑《けいべつ》してるドイツの小中流婦人らのいずれもと、同じようなことをしたがっていた。

 経験は短かかった。クリストフはユーディットに幻をかけたのとほとんど同じくらいに早く、その幻を失ってしまった。それにはユーディットの方でも、彼に幻を持続させるための労を少しも取らなかった、ということを認めなければならない。かかる気質の女が、相手を判断し相手から離れてしまうと、もはやその日から彼女にとっては、その相手の男は存在しないも同じである。彼女はもはやその相手を眼に留めない。そして自分の犬や猫《ねこ》の前で赤裸になるのをはばからないと同じように、その相手の前で平然たる厚かましさをもっておのれの魂を赤裸にしてはばからない。クリストフはユーディットの利己心を、その冷血を、その凡庸な性格を、見て取った。彼はすっかり虜《とりこ》になってしまう隙《ひま》がなかった。それでも、彼を苦しめるには、彼に一種の苦熱を与えるには、それでもう十分だった。彼はユーディットを愛しないで、こうであり得るかもしれないという彼女を――こうであるに違いないという彼女を、愛していた。彼女の美しい眼は、悩ましい幻惑を彼に及ぼしていた。彼はその眼を忘れることができなかった。その奥底に眠ってる沈鬱《ちんうつ》な魂を今や知りながらも、彼はなお見たいと思うとおりに、最初見たとおりに、その眼を見つづけていた。それは、恋なき恋の幻覚の一つであった。そういう幻覚は、作品にまったく没頭してはいないおりの芸術家らの心の中で、大なる地位を占むるものである。通りすがりの一つの顔も、彼らにこの幻覚を与えるに足りる。彼らはその女のうちに、彼女のうちにあって彼女みずから知りもせず気にもかけていないあらゆる美を、見て取るのである。そして彼女がその美を念頭においていないことを知っては、彼らはなおいっそうそれを愛する。だれにも価値を知られずに、そのまま死んでゆこうとしてる美しいもののように、彼らはそれに愛着する。
 おそらくクリストフは誤っていたろう。ユーディット・マンハイムは、実際の彼女より以上のものではあり得なかったろう。しかしクリストフは、しばらく彼
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