た。しかし彼はそれに興味を覚えてるのだった。そしてザビーネが化粧に費やしたのと同じだけの時間を、彼女をながめて空費するようになった。彼女は決して嬌飾家《めかしや》ではなかった。平素はむしろ構わない方だった。アマリアやローザほどにも、自分の服装《みなり》に細かな注意を払ってはいなかった。お化粧台の前にいつまでもじっとしていたのも、単なる怠惰からであった。留針を一本さすにも、そのあとで大儀そうな顰《しか》め顔をちょっと鏡に映しながら、その大した努力の骨休めをしなければならなかった。日暮れになりかけても、まだすっかり身仕舞を済ましていなかった。
 ザビーネの仕度《したく》がととのわないうちに、小婢《こおんな》が帰ってしまうこともたびたびだった。すると客は、店の入口の鈴《ベル》を鳴らした。一、二度鈴を鳴らさせ呼ばせておいてから、彼女はようやく椅子《いす》から立上る決心をするのだった。そして笑顔をしながら、ゆっくり出て来た――ゆっくり、客の求むる品物を捜した――そして少し捜しても見付からない時には、あるいは(実際あったことだが)それを取出すのにあまり骨の折れる時には、たとえば室の隅《すみ》から他の隅へ梯子《はしご》をもって行かなければならないような時には、平気で品切れだと言った。それに、店を少しも片付けようともせず、また実際きれてる品物を取寄せようともしなかったので、客の方で根負けがしたり、他の店へ行ったりした。しかしだれも彼女を憎む者はなかった。やさしい声で口をきき何事にも平気でいるこの愛敬者を相手には、腹のたてようがなかった。どんなことを言われても彼女は無頓着《むとんじゃく》だった。そしてだれもよくそのことを感じたので、不平を言い始める者も、それをつづけるだけの勇気がなかった。彼女のあでやかな微笑に笑顔で答えて帰っていった。しかしもう二度と買いに来なかった。彼女はそれを少しも苦にしなかった。そしていつも微笑《ほほえ》んでいた。
 彼女はフロレンスの若い女のような顔つきをしていた。くっきりした高い眉毛《まゆげ》、睫毛《まつげ》の幕の下に半ば開いている灰色の眼。少し脹《は》れた下|眼瞼《まぶた》、その下に寄ってる軽い皺《しわ》。かわいい小さな鼻は、軽やかな曲線を描いて先の方で高まっていた。も一つの小さな曲線が、鼻と上唇《うわくちびる》とを隔て、その上唇は開きかかってる口の上に
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