のが心の奥底に、愛した人たちの小さな墓場のごときものをもっている。彼らは何物にも覚《さま》されずに、幾年月かをそこに眠る。しかし他日その墓窟《はかあな》の開ける日が――人の知るごとく――めぐって来る。死者はその墓を出でて、母の胎内に眠ってる子供のように、彼らの思い出が息《やす》らっている胸を持つ愛人へ、愛する者へ、色|褪《あ》せた唇《くちびる》で頬笑《ほほえ》みかける。
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三 アーダ
雨がちな夏のあとに、秋が輝いていた。果樹園の中には、果実が枝の上に群れをなしていた。赤い林檎《りんご》が、象牙珠《ぞうげだま》のように光っていた。ある樹木は早くも、晩秋の燦爛《さんらん》たる衣をまとっていた。火の色、果実の色、熟した瓜《うり》や、オレンジや、シトロンや、美味な料理や、焼肉などの、種々の色彩《いろどり》。鹿子色《かのこいろ》の光が、林の間の至る所にひらめいていた。そして牧場からは、透き通ったさふらん[#「さふらん」に傍点]の小さな薔薇《ばら》色の炎が立ちのぼっていた。
彼は丘を降りていた。日曜の午後だった。彼は傾斜に引かれてほとんど駆けながら、大胯《おおまた》に歩を運んでいた。散歩の初めから頭につきまとってた律動をもってる一句を、彼は歌っていた。そして真赤《まっか》な色をし、胸をはだけ、狂人のように腕を振り、眼をきょろつかせながら、やって行くと、道の曲り角で、金髪の大きな娘に、ぱったり出会った。娘は壁の上に乗って、大きな枝を力任せに引張りながら、紫色の小さな梅の実を、うまそうに食っていた。彼らは二人とも同じようにびっくりした。彼女はどきまぎして、口いっぱいほおばりながら彼をながめた。それから笑い出した。彼も同じく放笑《ふきだ》した。彼女は見るも快い姿だった、光の粉を散らしたような、縮れた金髪で縁取られた丸顔、赤いふっくらとした頬《ほお》、青い大きな眼、横柄にそりくり返ってるやや太い鼻、つき出た強い糸切歯をそなえたまっ白な歯並が見えてる、ごく赤い小さな口、貪食《どんしょく》的な頤《あご》、それから、丈夫な骨組みの体格のよい、大きな脂《あぶら》ぎった豊饒《ほうじょう》な身体。彼は彼女に叫んだ。
「御|馳走《ちそう》さま!」
そして歩きつづけようとした。しかし彼女は呼びかけた。
「もし、もし、少し親切にしてくださらないこと? 助けておろしてち
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