はわれわれの番でしょう。世の中はそうしたもんです。……そしてあなたは、いかがです? 私はまあおかげさまで、至って丈夫です。」
彼は赤い顔色をし、汗をかき、酒の匂いをさしていた。この男が彼女の兄であり、彼女の思い出に権利をもってるかと思うと、クリストフの心は傷つけられた。愛する者のことをその男の口から聞くのが苦しかった。これに反して粉屋の方は、ザビーネの話ができる知人を見出したのがうれしかった。彼はクリストフの冷淡の訳がわからなかった。自分がそこにいること、あの農家の一日のことを突然もち出したこと、重々しく呼び起こしてる楽しい思い出、地面に散らかっていて話の間に足で押しやられてるザビーネの憐れな遺品、そういうものがクリストフの心の中の苦しみをかきまわそうとは、彼は夢にも思わなかったのである。しかしザビーネの名前がちょっと彼の口に上ってさえ、クリストフは胸裂ける思いをした。彼はベルトルトを黙らせる口実を捜した。彼は階段を上りかけた。しかし相手は彼にくっついて来、階段の途中で彼を引止め、話をつづけた。そしてついに、ある種の人々が、ことに下層の人々が、病気のことを話すおりに見出す不思議な楽しみをもって、聞きづらい細かな事柄をもやたらにもち出して、ザビーネの病気を語り出した時、クリストフはもう我慢ができなかった。(彼は切ない声をたてまいとしてじっと身を堅くしていた。)彼はきっぱりと相手の言葉をさえぎった。
「御免ください。」と彼は氷のような冷淡さで言った。「これで失礼します。」
彼はその外の挨拶《あいさつ》もせずに別れた。
そういう無情な態度に、粉屋は反感を覚えた。彼は妹とクリストフとの間のひそかな愛情を察していないではなかった。そして今クリストフがそういう無関心さを示したのが、彼には奇怪なことに思われた。クリストフは少しも人情のない奴《やつ》だと彼は判断した。
クリストフは居室に逃げ込んだ。胸苦しかった。引越騒ぎのつづいてる間、もう外に出なかった。彼は窓からのぞくまいとみずから誓った。しかしのぞかないではおられなかった。窓掛の後ろの片隅《かたすみ》に隠れて、なつかしい衣類がもち出されるのを見送った。それらがなくなってゆくのを見ると、彼は往来に駆け出そうとし、「いえいえ、私に残していってください、もっていってはいけません」と叫ぼうとした。彼は彼女を全部奪われないために
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