だった。半ば意識を失いながら、一度彼は呼んだ。
「お母さん!」
なんと悲痛な光景ぞ! クリストフのような子供ならいざ知らず、この老人が、臨終の苦しみにおいて自分の母を呼びかけるそのつぶやき――母、そのことを彼は日ごろかつて口にしたこともなかったのである。終焉《しゅうえん》の恐怖の中における窮極のしかも無益なる避難所!……彼は一瞬間落着いたように見えた。なお意識の閃《ひらめ》きを示した。瞳《ひとみ》があてもなく揺いでるように思われるその重い眼が、恐《こわ》さにぞっとしてる子供に出会った。眼は輝いた。老人は微笑《ほほえ》もうと努め、口をきこうと努めた。ルイザはクリストフを抱いて、寝台に近づけた。ジャン・ミシェルは唇を動かした。そしてクリストフの頭をなでようとした。しかしすぐにまた昏迷に陥った。それが最後であった。
人々は子供たちを次の室へ追いやった。しかしあまり用が多くて彼らに構っておれなかった。クリストフは恐さにひかれて、半開きの扉の入口から、老人の悲壮な顔を偸見《ぬすみみ》ていた。枕の上に仰向《あおむけ》に投げ出されて、首のまわりをしめつけてくる獰猛《どうもう》な圧縮に息をつまらし
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