きけなかった。しかし最初の一言で彼女は了解した。顔色を失い、手の物を取り落し、なんとも言わないで、家の外へ駆け出していった。
クリストフは一人残って、戸棚にとりすがっていた。彼はまだ泣きつづけていた。弟どもは遊びに耽っていた。彼にはどういうことが起こったのかはっきりわからなかった。祖父のことを考えてはいなかった。先刻見た恐ろしいありさまのことを考えていた。そしてまた無理やりに、それらのさまをふたたび見せられはすまいか、あの処へ連れもどされはすまいかと、びくびくしていた。
そして、夕方になって、他の子供たちが、家の中であらゆる悪戯《いたずら》をして倦《あ》いてしまい、退屈で腹がすいたと駄々《だだ》をこねだしたころ、果して、ルイザはあわただしくもどって来、子供らの手を取り、祖父の家へ連れて行った。彼女はごく早く歩いた。エルンストとロドルフとは、いつもの癖でぐずぐず言おうとした。しかしルイザは黙ってるようにと言いつけた。その言葉の調子に、彼らは黙ってしまった。本能的に恐怖を感じた。家にはいりかけた時、彼らは泣き出した。まだすっかり夜にはなっていなかった。夕日の名残《なご》りの光が、扉の押ボタンや、鏡や、ほの暗い広間の壁にかかってるヴァイオリンなどに、異様な反映を見せて、家の中を照らしていた。しかし祖父の室には、蝋燭《ろうそく》が一本ともしてあった。その揺めく炎は、消えかかった蒼白《あおじろ》い明るみとぶつかって、室の重々しい薄闇《うすやみ》をいっそう沈鬱《ちんうつ》になしていた。メルキオルが窓のそばにすわって、声をたてて泣いていた。医者が寝台の上に身をかがめていたから、そこに寝てる者の姿は見えなかった。クリストフの胸は張り裂けるばかりに動悸《どうき》していた。ルイザは子供たちを、寝台の足下に跪《ひざまず》かした。クリストフは思い切って覗《のぞ》いてみた。その午後の光景を見た後のこととて、いかにも恐ろしい何かを期待していたので、一目見ると、むしろ心が休まったほどだった。祖父はじっとしていて、眠ってるように思われた。クリストフはちょっと、祖父が回復したのだという気がした。しかしその押しつけられたような息遣いを聞いた時、なおよく眺めて、倒れた傷跡が大きな紫色の痣《あざ》になってる脹《は》れた顔を見た時、そこにいる人は死にかかってるのだとわかった時、彼はふるえだした。そして、
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