句が記憶に浮かんできた。ケリッヒ夫人がその乱暴きわまる文句を読むことを考えると、冷たい汗が流れた。最初のうちは絶望そのもののために気が張っていた。しかし翌日になると、手紙は自分をまったくミンナから引離してしまうほかには、なんらの結果ももたらさないだろうということを、彼は覚った。それは最大の不幸のように思われた。ケリッヒ夫人は自分の癇癪《かんしゃく》をよく知っているから、これも真面目《まじめ》にとらないで、ただきびしく叱《しか》るだけにしてくれて、そのうえ――ひょっとしたら――自分の熱情の真摯《しんし》なのにおそらく心を動かしはすまいか、などと彼はなお希《こいねが》った。ただ一言いってさえくれれば、彼女の足下に身を投げだすつもりだった。彼はその一言を五日間待った。やがて手紙が来た。彼女は次のように言ってよこした。
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親愛なるお方
あなたの御意見によれば、私どもの間には誤解がありますそうですから、最も賢い方法は、もちろん、それを長引かせないことであります。あなたにとって苦痛となった御交際を、このうえあなたに求めるのは、私には心苦しく思われます。それですから、このさい御交際を絶つ方が、自然なことだと御承知ください。この後、御希望どおりあなたを評価しうるような友だちに、御不自由なさらないことを希望いたします。私はあなたの未来を疑いません。そして音楽家としての御進歩を、かげながら心から注目いたしましょう。敬白
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[#地から2字上げ]ヨゼファ・フォン・ケリッヒ
最も辛辣《しんらつ》な叱責《しっせき》も、これほど残忍ではなかったろう。クリストフはもう手段がないのを覚った。不当な非難には答えることができる、しかしかかる丁寧な無関心さの空虚にたいしては、どうすることができよう? 彼は狂わしくなった。もうミンナには会えないだろう、もう永久に会えないだろう、と彼は考えた。そしてそれをたえ忍ぶことができなかった。いかに大なる自尊心も、少しの恋愛に比べては、実にわずかなものであると感じた。彼はあらゆる品位を忘れて卑劣になり、新たにいく本も手紙を書いて、宥恕《ゆうじょ》を嘆願した。それらの手紙は、最初の怒った手紙にも劣らず、やはり馬鹿げたものであった。なんの返事も来なかった。――そして万事終った。
彼は危く死のうとした。身を殺すこ
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