身をねじって笑いながら、彼女の首に飛びつき、彼女の息がつまるほど強く抱きしめた。
その晩彼女は、自分の居間に退いてからも、長く床にはいらなかった。鏡の中ばかり覗《のぞ》き込んで、思い出そうとしたが、終日同じことばかり考えていたので、もう何にも考えられなかった。彼女は静かに着物をぬいだ。たえずぬぐ手を休めては、寝台の上にすわり、クリストフの面影を思い出そうとした。彼女に現われたのは、幻のクリストフだった。そして今はもう、クリストフがさほど醜くも見えなかった。彼女は床について、燈火を消した。十分ばかりすると、その朝の光景が突然頭に浮かんだ。彼女は笑いだした。母親は禁じておいたのにもかかわらず床の中で書物を読んでることと思って、静かに起き上がり、扉を開いた。見ると、ミンナは静かに寝ていたが、夜燈のほのかな光の中に大きく眼を見開いていた。
「どうしたんです?」と彼女は尋ねた、「何が面白いの?」
「何にも。」とミンナは真面目に答えた。「考えてるの。」
「一人っきりでおかしがるなんて、ずいぶん気楽な人ですね。だけどもう、眠らなければいけませんよ。」
「はい、お母様。」と従順なミンナは答えた。
しかし心の中では、「あっちへ行らっしゃい、あっちへ行らっしゃいよ!」とぶつぶつ言っていた。するとついに、扉がまた閉《し》まって自分の夢想を味わいつづけることができた。彼女は懶《ものう》い無我の境にはいっていった。眠りかけると、嬉しくって飛び上がった。
「私を愛してるわ。……嬉《うれ》しいこと! 愛してくれるなんて、なんとやさしい人だろう!……私、ほんとに好きだわ!」
彼女は枕《まくら》を抱きしめた。そしてすっかり寝入った。
二人がまた初めていっしょになった時、クリストフはミンナの愛想よいのに驚かされた。彼女は彼に挨拶《あいさつ》をし、ごくやさしい声で、機嫌《きげん》はどうかと尋ねた。おとなしい慎《つつ》ましい様子でピアノについた。まったく従順な天使だった。意地悪な生徒らしい悪戯《いたずら》を、もう少しもしなかった。クリストフの意見にかしこまって耳を傾け、それが正しいことを認め、一つ間違いをしても、みずから自責の声をたてて、それを直そうとつとめた。クリストフには少しも訳がわからなかった。彼女はわずかな間に、驚くべき進歩をした。ただにひくのが上手になったばかりでなく、音楽が好きになっ
前へ
次へ
全111ページ中82ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング