の限られた狭い生活のうちにあっては、その話は重大な出来事だったので、彼はそれがたいへん気にかかった。そして仕事に出かけながらも、父の例のおおげさな話に従って、その不思議な家の主人公たちを想像してみようとした。それから仕事に心を奪われて、すっかり忘れてしまった。けれどもその夕方、家にもどる間ぎわに、すべてのことがまた頭に浮かんだ。すると好奇心に駆られて、例の眺め場所に上り、壁の中がどういうふうになってるか覗《のぞ》いてみた。ところが眼にはいるものはただ、静かな庭|径《みち》ばかりで、そこにはじっと動かない木立が、太陽の名残の光のうちに眠ってるがようだった。しばらくすると彼は、好奇心の的をすっかり忘れてしまって、しみじみとした静けさのうちに浸っていった。その妙な位置は――標石の頂上に不安定に身を保って立つのであるが――彼の夢想には上乗の場所であった。空気のよく通わない薄暗いきたない路次から出ると、その日向《ひなた》の庭は夢幻的な輝きを帯びてるようだった。彼の精神はそのなごやかな場所のうちに漂っていった。種々の音楽が歌っていた。彼はその音楽のうちにうとうととした……。
 かくて彼は、眼も口も開きながら夢想していた。そしてどれくらいの間夢想してたかみずから知らなかった。なぜなら、何にも眼にはいらなかったから。と突然、彼は駭然《がいぜん》とした。前方に、径《みち》の曲り角のところに、二人の女が立って、こちらを眺めていた。一人は――黒服の若い婦人で、ほっそりとした不揃《ふぞろ》いな顔立をし、灰色がかった金髪をもち、背が高く、優美で、取り澄さない自然の首つきをしていたが――親切そうな揶揄《やゆ》的な眼で彼を見守っていた。も一人の方は――十五歳ばかりの娘で、同じく喪服ずくめであったが――放笑《ふきだ》したくてたまらながってるような子供らしい顔付をしていた。ふり返りもしないでただ黙ってるようにと合図をしてる母親の少し後ろの方で、両手のうちに口を隠して、笑いを押えるのに一生懸命骨折ってるがようだった。色白な桃色の丸い顔をした小娘だった。心持ち太い小さな鼻、心持太い小さな口、ふっくらした小さな頤《あご》、細やかな眉毛《まゆげ》、清らかな眼、豊かな金髪。その髪は網代《あじろ》に編まれて、頭のまわりにくるりと巻きつけられ、丸い首筋と艶《つや》のいい白い額とを現わしていた。――クラナハの絵にあ
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