こにすわって、シャツの袖《そで》で汗ばんだ顔を拭《ふ》いた。時とすると彼は、弟のロドルフを突っついて起こそうとした。しかし弟は何かぶつぶつ言いながら、夜具をすっかり自分の上に引きよせて、またぐっすり眠ってしまった。
彼はそういうふうにして、熱っぽい悩みのうちにとらえられていると、ついに蒼白《あおじろ》い一条の光が垂幕の裾《すそ》の床《ゆか》の上に現われた。はるかな黎明《れいめい》の弱々しい明るみは、にわかに安らかな気を彼のうちにもたらした。だれもまだその明るみを闇と見分けることができないころ、彼はすでにそれが室の中に忍び込んでくるのを感じた。するとただちに、あふれた河水がまた河床のうちに引いてゆくように、彼の熱はさめ、彼の血は静まった。同じ温かさが身体じゅうをめぐり、不眠のため燃えるようになってる彼の眼は閉じていった。
晩になると、彼はまた眠る時がやって来るのを見て震え上がった。悪夢の恐ろしさのあまり、眠りに負けず夜通し起きていようときめた。けれどしまいにはいつも疲労にうち負かされた。そしていつも思いも寄らない時に怪物がまた現われてきた。
恐るべき夜! 多くの子供にはいかにも楽しく、ある子供にはいかにも恐ろしい!……クリストフは眠るのを恐れた。また眠らないのを恐れた。眠っていても目覚めていても、奇怪な姿に、精神から出てくる妖怪《ようかい》に、悪鬼に、彼はとりかこまれた。それらのものは、病魔の気味悪い明暗の境におけると同じく、幼時の薄ら明るみの中に浮動しているものである。
しかしそれら想像上の恐れは、やがて大なる恐怖[#「恐怖」に傍点]の前には消え失せなければならなかった、あらゆる人に食い込み、人知がいかに忘れんとつとめ否定せんとつとめても甲斐《かい》のない恐怖、すなわち死[#「死」に傍点]の前には。
ある日、彼は戸棚《とだな》の中をかき回しながら、見知らぬ物に手を触れた。子供の上着や縞《しま》の無縁帽があった。彼はそれらの物を得意になって母のところへもって行った。母は笑顔《えがお》を見せもしないで、不機嫌《ふきげん》な顔付をして、元のところへ置いて来るように言いつけた。彼がその訳を尋ねながらぐずぐずしていると、母はなんとも答えないで、彼の手から品物をもぎ取って、彼の届かない棚の上に押し込んでしまった。彼はたいへん気にかかって、しきりに尋ねだした。母はついに言った、それらのものは彼が生まれて来ない前に死んだ小さな兄のものであると。彼はびっくりした。かつてそんなことを聞いたことがなかったのである。彼はちょっと黙っていたが、それからもっと詳しく知りたがった。母の心は他に向いてるらしかった。けれども、その兄もやはりクリストフという名だったが彼よりもっとおとなしかった、とだけ言ってきかした。彼はなお種々のことを尋ねた。母は答えるのを好まなかった。兄は天にいて皆のために祈っていてくれるとだけ言った。クリストフはそれ以上聞き出すことができなかった。余計なことを言うと仕事の邪魔になる、と母は言った。実際彼女は縫物に専心してるらしかった。何か気がかりな様子をして、眼をあげなかった。しかししばらくすると、彼が片隅《かたすみ》に引込んでむっつりしてるのを眺め、笑顔を作りだして、外に遊びにおいでとやさしく言った。
その会話の断片は、深くクリストフの心を動かした。してみると、一人の子供がいたのである、自分の母親の小さな男の子が、自分と同じようで、同じ名前で、ほとんど同じ顔付をして、しかも死んでしまった子が!――死、彼はそれがどんなことだかはっきり知らなかった。しかし何か恐ろしいことらしかった。――そしてだれも、そのも一人のクリストフのことをかつて話さなかった。もうすっかり忘られてしまっていた。もしこんどは自分が死んだら、やはり同じようになるのではあるまいか?――そういう考えは、晩になって、皆といっしょに食卓につき、皆がつまらないことを談笑してるのを見た時、なお彼に働きかけてきた。彼が死んでしまった後も皆は快活にしてるかもしれない! おう、自分の小さな子供が死んだ後でも母親は身勝手に笑いうるものであろうとは、彼はかつて思ってもみなかった。彼は家じゅうの者が厭《いや》になった。死なない先から、自分自身を、自分の死を、嘆き悲しみたくなった。それとともに、種々なことを尋ねたかった。しかしそれもできかねた。母親がどんな調子で黙ってくれと言ったかを、彼は思い起こした。――ついに彼はたえられなくなった。そして床についた時、接吻しに来たルイザに尋ねた。
「お母さん、やはり私の寝床に寝ていたの?」
彼女は身を震わした。そして平気を装った声で尋ねた。
「だれが?」
「あの子供、死んでしまったあの……。」とクリストフは声を低めて言った。
母の両手はにわかに
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