、そこにいる人たちのうちでほんとうに音楽を感じているのは、その小さな子供一人きりだと言われたら、協奏曲《コンセルト》をこね回してる善良な人々はさぞ驚いたであろう。
もし彼に静かにしていてもらいたいのなら、なぜ人を歩かせるような曲を演奏してきかせたのか。それらのページのうちには、悍馬《かんば》、剣、戦《いくさ》の叫び、勝利の驕慢《きょうまん》、などが含まれていたのである。しかも彼らは、彼にも同じように、頭を振ったり足拍子を取ったりするだけでいてもらいたかったのである。それならばただ、のどかな夢幻の曲か、いくらしゃべってもなんの意味をも語らない饒舌《じょうぜつ》なページかを、演奏してやりさえすればよかったのだ。たとえば、ゴルトマルクの曲でもよかった。老時計商は先刻|歓《よろこ》ばしい笑顔をして、その楽曲のことを言った。「実にいい。荒っぽいところがない。どの角《かど》も丸くなってる……。」その時には子供はごく静かだった。うとうとしていた。何が弾奏されてるか知らなかった。しまいにはもう何も聞えなくなった。しかしいい気持だった。手足がけだるくなって、うつらうつら夢みていた。
彼の夢は筋の通った話ではなかった。頭も尾もなかった。辛《かろ》うじて時々はっきりした象《すがた》を見るだけだった。菓子をこしらえながら、指の間に残ってる捏粉《ねりこ》を包丁で取ってる母親――前日河に泳いでるところを見かけた溝鼠《どぶねずみ》――柳の枝でこしらえたいと思っていた鞭《むち》……。それらの記憶がどうして今彼に浮かんできたかは、神のみが知るところである。――しかしたいていは、まったく何も見えなかった。それでもたくさんのものを感じていた。何かきわめて大切なものが山ほどあるかのようだった、いつも同じようにしてるので、またはっきり知れきってるので、口にいうことができないような、あるいは言っても無駄《むだ》なような、きわめて大切なものが。その中には、悲しいのもあった、死ぬほど悲しいのもあった。けれどそれらは、人生において出会うのと違って、なんら苦しいところをもたなかった。父から殴られた時のように、あるいは恥ずかしさで胸をしぼりながら何かの屈辱を考える時のように、醜くもなければ卑《いや》しくもなかった。ただ憂鬱《ゆううつ》な静けさで頭がいっぱいになった。それからまた、喜びをどっとふりまいてくれる輝かしい
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