のうちに鶏卵《たまご》の殻《から》から出るように、火の玉の一つ一つから驚くべき物が爆発して、空中に充満した。それは血のない醜悪な幼虫のたぐいで、わたしには到底《とうてい》なんとも説明のしようがない。一滴の水を顕微鏡でのぞくと、無数の透明な、柔軟な、敏捷な物がたがいに追いまわし、たがいに喰い合っているのが見える。今ここにあらわれた物もまずそんな種類で、肉眼ではほとんど見分け難いものであると思ってもらいたい。その形になんの均一《きんいつ》があるわけでもなく、その行動になんの規律があるわけでもなく、居どころも定めずに飛びまわって、私のまわりをくるくると舞いはじめた。
 その集団はだんだんに濃密になって、その廻転はだんだんに急激になって、わたしの頭の上にもむらがって来た。何かの用心に突き出している私の右手の上にも這いあがって来た。時どきに何かさわるように感じたが、それはかれらの仕業《しわざ》でなく、眼にみえない手が私にさわるのであった。またある時には、冷たい柔らかい手がわたしの喉《のど》をなでるように感じたこともあった。
 ここで恐れをいだいて降参すると、わたしのからだに危険があると思ったので、私はかれらに対抗するという一点にわたしの心力を集中して、かの蟒蛇《うわばみ》のような眼――それはだんだんにはっきりと見えて来た――から私の眼をそむけた。わたしの周囲にはもう何物もいないのであるが、ここになお一つの「意志」がある。それは力強く、創造的で、かつ活動力に富むところの「悪」の意志であって、その力はよく私を圧伏《あっぷく》し得るのであった。
 部屋のなかの青白い空気は、今や近火でもあるように紅《あか》くなって、かの幼虫の群れは火のなかに棲《す》む物のようにきらきらと光って来た。月のひかりはふるえて動いた。物を撃つような音がまたもや三度きこえたかと思うと、すべての物がかの黒い影に呑まれて、さらにまた大いなる暗黒《くらやみ》のうちに隠れてしまったが、やがてその暗黒が退《の》くと共に、黒い影もまったく消え失せて、今まで光りを奪われていたテーブルの上の蝋燭の火は再びしずかに明かるくなった。爐の火も再び燃えはじめた。この室内は再びもとの平穏の姿に立ちかえった。
 二つのドアはなおしまったままで、Fの部屋へ通ずるドアにも錠をおろしてあった。壁の隅には、かの犬が追い込まれて、痙攣《けいれん》したように横たわっているので、わたしは試みに呼んでみたが、犬はなんの答えもなかった。さらに近寄ってよく観ると、眼の球《たま》は飛び出して、口からは舌を吐いて、顎《あご》からは泡をふいて、犬はもう死んでいるのであった。
 わたしはかれを抱きあげて火のそばへ連れて来たが、哀れなる愛犬の死について、強い悲哀と強い自責とを感ぜずにはいられなかった。私がかれを死地へ連れ込んだのである。最初は恐怖のために死んだのであろうと想像していたが、その頸《くび》の骨が実際に砕《くだ》かれているのを発見して、わたしはまた驚いた。それが暗中になされたとすれば、それは私のような人間の手によってなされなければなるまい。して見ると、最初から終わりまでこの室内に人間が働いていたのであろうか。それについて何か疑わしい形跡があるであろうか。私はこの以上に何事をも詳しく語ることが出来ないのであるから、よろしく読者の推断に任せるのほかはない。
 もう一つ驚くべきは、さっき不思議に紛失した私の懐中時計がテーブルの上に戻っていた。但《ただ》し、あたかもそれが紛失した時刻のところで、時計の針は止まっているのである。その後、上手な時計屋へ持って行って幾度も修繕してもらったが、いつも数時間の後には針の廻転が妙に不規則になって、結局は止まってしまうことになるので、その時計はとうとう廃物になった。
 その後はもう変わったことはなかった。わたしは夜のあけるまで待っていたが、何事もなかった。日が出て、世間が昼になって、わたしがこの家を立ち去るまで、もう何事もなかったのである。
 いよいよここを立ち去る前に、わたしとFとが監禁された部屋、窓のない部屋へ再びはいってみた。奇異なる事件の機械的作用――もしこんな言葉があるならば――を作り出したこの部屋へ今や白昼に踏み込んで、ゆうべの怖ろしさを再び思い出すと、わたしは一刻もここに立っているに堪《た》えられないので、早そうに階段を降りかかると、またもやわたしのさきに立ってゆく跫音《あしおと》がきこえた。そうして、表の入り口のドアをあけた時に、うしろでかすかな笑い声がきこえたようにも思われた。
 わたしは自分の家へ帰った。ゆうべ逃亡した雇い人は定めて顔を見せるだろうと思いのほか、Fはどこへ行ってしまったか、一向にその消息が分からないのであった。三日の後にリヴァプールからの手紙が来た。

前へ 次へ
全14ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
リットン エドワード・ジョージ・アール・ブルワー の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング