石の上に死んでいるのを発見されたものであるらしい。しかし、そこに虐待の証拠はいくらか認められても、その子供を殺したという証拠はなんにも認められないのである。
彼の叔母とその夫はその残酷の行為に対して、子供が非常に強情であるのを矯正するがためであったと弁解した。そうして、彼は半気ちがいのような片意地者であったと説明した。いずれにしても、この孤児の死によって、叔母は自分の兄の財産を相続したのであった。
結婚の第一年が過ぎないうちに、かのアメリカ人はにわかに英国を立ち去って、それぎり再び帰って来なかった。彼はそれから二年の後、大西洋で難破した船に乗り合わせていたのである。
こうして未亡人とはなったが、彼女は豊かに暮らしていた。しかもいろいろの災厄が彼女の上に落ちかかって来て、預金の銀行は倒れる、投資の事業は失敗するという始末で、とうとう無産者となってしまった。それからいろいろの勤めに出たが、まただんだんに零落して、貸家の監督から更に下女奉公にまで出るようになった。彼女の性質を別に悪いという者もないのであるが、どこへ行ってもその奉公が長くつづかなかった。彼女は沈着で、正直で、ことにその行儀がいいのを認められていながら、どうも彼女を推薦する者がなかった。そうして、ついに養育院に落ち込んだのを、J氏が引き取って来て貸家の番人に雇い入れたのである。その貸家は彼女が結婚生活の第一年に、一家の主婦として借り受けた家であった。
J氏はそのあとへ、こういうことを付け加えて来た。
わたしが打ち毀せと勧めたかの部屋に、J氏はただひとりで一時間を過ごしたが、別になんにも見えるでもなく、聞こえるでもないにもかかわらず、彼は非常の恐怖を感じたので、断然わたしの注意にしたがって、その壁をめくり、床を剥《は》がすことに決心して、すでにその職人とも約束しておいたから、わたしの指定の日から工事に着手するというのであった。
そこで時間をとりきめて、わたしはかの化け物屋敷へ行った。私たちは窓のないがらんどうの部屋へはいって、建物の幅木《はばき》を取りのけ、それから床板《ゆかいた》をめくると、垂木《たるき》の下に屑をもっておおわれた刎《は》ね上げの戸が発見された。そのかくし鈴《ベル》は人間が楽にはいられるくらいの大きさで、鉄の締金《しめがね》と鋲《びょう》とで厳重に釘付けにされていた。それらをはず
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