は建物の総体から離れて、小さい裏庭の上に作られているのですから、あれを動かしたところで、建物の他の部分にはなんにも差支《さしつか》えはありますまい」
「そこで、わたしがその通りにしましたらば……」
「まず電信線を切りはずすのです。それをやってご覧なさい。もしその作業の指揮をわたしに任せて下さるなら、わたしがその工事費の半額を支払います」
「いや、それは私がみな負担します。その余のことは、書面で申し上げましょう」
四
それから十日ほどの後に、わたしはJ氏からの手紙をうけとった。
その報告によると、彼はわたしが帰ったあとで、かの家へ見廻りに行った。そうして、かの二通の手紙が再びもとの抽斗《ひきだし》に戻っているのを発見したので、彼もわたしと同じような疑いをもって読んだ。それからまた、わたしが推測した通りに、かの手紙の受け取り人であるらしい老婆の身の上を念入りに調べはじめると、手紙の日付けの一年前、すなわち今から三十六年前に彼女は親族の意志にさからって結婚した。男はアメリカ生まれのすこぶる怪しい人物で、世間からは海賊であると認められていた。彼女は信用の厚い商人の娘で、結婚するまでは乳母に育てられていたほどの身分であった。また、彼女には男やもめの兄があって、それはおそらく金持であったらしく、その当時六歳ぐらいの子供を持っていたのである。彼女が結婚してから一カ月の後、その兄の死骸がテームス河のロンドン橋に近いところで発見されて、死骸の咽喉部には暴力を加えたらしい形跡が見えたが、特に検視を求めるというほどの有力の証拠にもならず、結局は溺死ということで終わった。
アメリカ人とその妻は死んだ兄の遺言状によって、その一人の孤児の後見人となった。そうして、その子供が死んだために、妻がその財産を相続した。但《ただ》し、その子供はわずかに六カ月の後《のち》に死んだので、おそらく後見人夫婦のために冷遇と虐待を受けたせいであろうと想像された。近所の者は夜なかに子供の泣き叫ぶ声を聞いたことがあると証明した。またその死体を検査した医師は、営養欠乏のために死亡したのだといい、しかもその全身にはなまなましい紫斑《しはん》の痕《あと》が残っていたと言った。なんでもある冬の夜に、子供はそこを逃げ去ろうとして、裏庭まで這《は》い出して、塀を登ろうとして、疲れて倒れて、あくる朝になって
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