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先夜はご覧の通りの始末で、なんとも申しわけがございません。わたくしが本当に回復するにはこれから一年以上もかかるだろうと存じますから、もちろん今後のご奉公は出来ません。わたくしはこれからメルボルンにいる義兄弟のところへ尋ねて行くつもりで、その船は明日出帆いたします。長い航海をつづけているうちには、わたくしも気がしっかりして来るであろうと存じます。なにしろ唯今《ただいま》のところでは恐怖と戦慄があるばかりで、怖ろしい物が常に自分のうしろに付きまとっているように思われてなりません。それからはなはだ恐れ入りますが、わたくしの衣類や荷物のたぐいは、ウォルウォースにいるわたくしの母のところへお届けを願います。母の住所はジョンが知っております。――
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 手紙の終わりには、なおいろいろの弁解が付け加えてあって、やや辻褄《つじつま》の合わない点もあるが、筆者はすこぶる注意して書いたらしく、くどくどと列《なら》べ立ててあった。本人はかねて濠州《ごうしゅう》へ行きたい希望があったので、それをゆうべの事件に結び付けて、こんな拵《こしら》え事をしたのではないかとも疑われるが、私はそれについてなんにも言わない。むしろ世間には信ずべからざることを信ずる人がたくさんあって、彼もその一人であろうと思った。いずれにしても、この事件に対するわたしの信念と推理は動かないのである。
 夕方になって、わたしは貸馬車を雇って再びかの化け物屋敷へ行った。そこへ置いて来たわたしの物と、死んだ犬の亡骸《なきがら》とを引き取るためであったが、今度は別になんの邪魔もなかった。ただその階段を昇り降りするときに、例の跫音を聞いたほかには、わたしの注意にあたいするような出来事もなかった。
 そこを出て、さらに家主のJ氏をたずねると、彼はあたかも在宅であった。わたしは鍵を返した上で、わたしの好奇心は十分に満足したことを話した。そうして、ゆうべの出来事を口早に話しかけると、J氏はそれをさえぎって、しょせん誰にも解決のつかないような怪談について、自分は最早《もはや》興味を持たないと丁寧にことわった。しかし、かの二通の手紙の事と、またそれが不思議に消え失せたことだけは報告しておかなければならないと思ったので、わたしはJ氏にむかって、かの手紙は、かの家で死んだ老婆に宛てたものであると考えられ
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