みえない手につかみ去られるように消え失せてしまった。
 わたしは片手に短銃、かた手に匕首を持って跳《と》び起きた。時計とおなじように、この二つの武器をも奪われてはならないと思ったからである。こう用心して床の上を見まわしたが、どこにも時計は見えなかった。このとき枕もとでしずかに、しかも大きく叩く音が三つ聞こえた。
「旦那。あなたですか」と、次の部屋でFが呼びかけた。
「いや、おれではない。おまえも用心しろ」
 犬は今起きあがって、からだを立てて坐った。その耳を左右に早く動かしながら、不思議な眼をして私を見つめているのが、わたしの注意をひいた。犬はやがてしずかに身を起こしたが、なおまっすぐに立ったままで、総身《そうみ》の毛を逆立《さかだ》たせながら、やはりあらあらしい眼をして私をじっと見つめていた。しかも、私は犬のほうなどを詳しく検査している暇《ひま》はなかった。Fがたちまちに自分の部屋からころげ出して来たのである。
 人間の顔にあらわれた恐怖の色というものを、私はこのときに見た。もし往来で突然出逢ったならば、おそらく自分の雇い人とは認められないであろうと思われるほどに、Fの相好《そうごう》はまったく変わっていた。彼はわたしのそばを足早に通り過ぎながら、あるかないかの低い声で言った。
「早くお逃げなさい、お逃げなさい。わたしのあとからついて来ます」
 彼はあがり場のドアを押しあけて、むやみに外へ駈け出すので、わたしは待て待てと呼び戻しながら続いて出ると、Fはわたしを見返りもせずに、階段を跳《は》ね降りて、手摺りに取りついて、一度に幾足もばたばたさせながら、あわてて逃げ去った。わたしは立ちどまって耳を澄ましていると、表の入り口のドアがあいたかと思うと、またしまる音がきこえた。頼みのFは逃げてしまって、私はひとりでこの化け物屋敷に取り残されたのである。

 ここに踏みとどまろうか、Fのあとを追って出ようかと、わたしもちょっと考えたが、わたしの自尊心と好奇心とが卑怯に逃げるなと命じたので、わたしは再び自分の部屋へ引っ返して、寝台の方へ警戒しながら近づいた。なにぶんにも不意撃ちを食ったので、Fがいったい何を恐れたのか、私にはよく分からなかったのである。もしやそこに隠し戸でもあるかと思って、わたしは再び壁を調べてみたが、もちろんそんな形跡もないばかりか、にぶい褐色の紙には継ぎ目さ
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