なく倚《よ》りながら氷菓子《アイス》を食べたり、煙草をくゆらしたりしていた。応接間では、賭けをするひと組の連中が取り巻いている長いテーブルの上席にシェカリンスキイが坐って元締をしていた。
 彼は非常に上品な風采《ふうさい》の五十がらみの男で、頭髪は銀のように白く、そのむっくりと肥《ふと》った血色のいい顔には善良の性《しょう》があらわれ、その眼は間断なく微笑にまたたいていた。ナルモヴは彼にヘルマンを引き合わせた。シェカリンスキイは十年の知己のごとくにヘルマンの手を握って、どうぞご遠慮なくと言ってから、骨牌を配りはじめた。
 その勝負はしばらく時間をついやした。テーブルの上には三十枚以上の切り札が置いてあった。シェカリンスキイは骨牌を一枚ずつ投げては少しく間《ま》を置いて、賭博者に持ち札を揃えたり、負けた金の覚え書きなどをする時間をあたえ、一方には賭博者の要求に対していちいち慇懃《いんぎん》に耳を傾け、さらに賭博に沈黙を守りながら、賭博者の誰かが何かの拍子に手で曲げてしまった骨牌の角を伸《の》ばしたりしていた。やがて、その勝負は終わった。シェカリンスキイは骨牌を切って、再び配る準備をした。
「どうぞ私にも一枚くださいませんか」と、ヘルマンは勝負をしている一人の男らしい紳士のうしろから手を差し伸べて言った。
 シェカリンスキイは微笑を浮かべると、承知しましたという合図に静かに頭《かしら》を下げた。ナルモヴは笑いながら、ヘルマンが長いあいだ守っていた――骨牌を手にしないという誓いを破ったことを祝って、彼のために幸先《さいさき》のいいように望んだ。
「張った」と、ヘルマンは自分の切り札の裏に白墨《チョーク》で何か印《しるし》を書きながら言った。
「おいくらですか」と、元締が眼を細くしてたずねた。「失礼ですが、わたくしにはよく見えませんので……」
「四万七千ルーブル」と、ヘルマンは答えた。
 それを聞くと、部屋じゅうの人びとは一斉に振りむいて、ヘルマンを見つめた。
「こいつ、どうかしているぞ」と、ナルモヴは思った。
「ちょっと申し上げておきたいと存じますが……」と、シェカリンスキイが、例の微笑を浮かべながら言った。「あなたのお賭けなさる金額は多過ぎはいたしませんでしょうか。今までにここでは、一度に二百七十五ルーブルよりお張りになったかたはございませんが……」
「そうですか」と、ヘルマンは答えた。「では、あなたはわたくしの切り札をお受けなさるのですか、それともお受けなさらないのですか」
 シェカリンスキイは同意のしるしに頭を下げた。
「ただわたくしはこういうことだけを申し上げたいと思うのですが……」と、彼は言った。「むろん、わたくしは自分のお友達のかたがたを十分信用してはおりますが、これは現金で賭けていただきたいのでございます。わたくし自身の立ち場から申しますと、実際あなたのお言葉だけで結構なのでございますが、賭け事の規定から申しましても、また、計算の便宜上から申しましても、お賭けになる金額をあなたの札の上に置いていただきたいものでございます」
 ヘルマンはポケットから小切手を出して、シェカリンスキイに渡した。彼はそれをざっと調べてからヘルマンの切り札の上に置いた。
 それから彼は骨牌を配りはじめた。右に九の札が出て、左には三の札が出た。
「僕が勝った」と、ヘルマンは自分の切り札を見せながら言った。
 驚愕のつぶやきが賭博者たちのあいだから起こった。シェカリンスキイは眉をひそめたが、すぐにまた、その顔には微笑が浮かんできた。
「どうか清算させていただきたいと存じますが……」と、彼はヘルマンに言った。
「どちらでも……」と、ヘルマンは答えた。
 シェカリンスキイはポケットからたくさんの小切手を引き出して即座に支払うと、ヘルマンは自分の勝った金を取り上げて、テーブルを退いた。ナルモヴがまだ茫然としている間に、彼はレモネードを一杯飲んで、家へ帰ってしまった。
 翌日の晩、ヘルマンは再びシェカリンスキイの家へ出かけた。主人公はあたかも切り札を配っていたところであったので、ヘルマンはテーブルの方へ進んで行くと、勝負をしていた人たちは直《ただ》ちに彼のために場所をあけた。シェカリンスキイは丁寧に挨拶した。
 ヘルマンは次の勝負まで待っていて、一枚の切り札を取ると、その上にゆうべ勝った金と、自分の持っていた四万七千ルーブルとを一緒に賭けた。
 シェカリンスキイは骨牌を配りはじめた。右にジャックの一が出て、左に七の切り札が出た。
 ヘルマンは七の切り札を見せた。
 一斉に感嘆の声が湧きあがった。シェカリンスキイは明らかに不愉快な顔をしたが、九万四千ルーブルの金額をかぞえて、ヘルマンの手に渡した。ヘルマンは出来るだけ冷静な態度で、その金をポケットに入れると、
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