うではないか。六時十五分過ぎだぜ」
実際すでに夜が明け始めていたので、若い連中はぐっとコップの酒を飲みほして、思い思いに帰って行った。
二
三人の侍女はA老伯爵夫人を彼女の衣裳部屋の姿見の前に坐らせてから、そのまわりに附き添っていた。第一の侍女は小さな臙脂《べに》の器物を、第二の侍女は髪針《ヘヤピン》の小箱を、第三の侍女は光った赤いリボンのついた高い帽子をささげていた。その伯爵夫人は美というものに対して、もはや少しの自惚《うぬぼれ》もなかったが、今もなお彼女の若かりし時代の習慣をそのままに、二十年前の流行を固守した衣裳を身につけると、五十年前と同じように、長い時間をついやして念入りの化粧をした。窓ぎわでは、彼女の附き添い役の一人の若い婦人が刺繍台の前に腰をかけていた。
「お早うございます、おばあさま」と、一人の青年士官がこの部屋へはいって来た。
「|今日は《ボンジュール》、|リース嬢《マドモアゼル・リース》。おばあさま、ちょっとお頼み申したいことがあるのですが……」
「どんなことです、ポール」
「ほかでもないのですが、おばあさまに僕の友達をご紹介した上で、この金曜日の舞踏会にその人を招待したいのですが……」
「舞踏会にお呼び申して、その席上でそのおかたを私に紹介したらいいでしょう。それはそうと、きのうおまえはBさんのお家《うち》においででしたか」
「ええ、非常に愉快で、明けがたの五時頃まで踊り抜いてしまいました。そうそう、イエレツカヤさんが実に美しかったですよ」
「そうですかねえ。あの人はそんなに美しいのかねえ。あの人のおばあさまのダリア・ペトロヴナ公爵夫人のように美しいのかい。そういえば、公爵夫人も随分お年を召されたことだろうね」
「なにをおっしゃっているのです、おばあさま」と、トムスキイはなんの気もなしに大きい声で言った。「あの方はもう七年前に亡くなられたではありませんか」
若い婦人はにわかに顔をあげて、この若い士官に合図をしたので、彼は老伯爵夫人には彼女の友達の死を絶対に知らせていないことに気がついて、あわてて口をつぐんでしまった。しかしこの老伯爵夫人はそうした秘密を全然知らなかったので、若い士官がうっかりしゃべったことに耳を立てた。
「亡くなられた……」と、夫人は言った。「わたしはちっとも知らなかった。私たちは一緒に女官に任命されて、
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