としてのある感情が、あなたの胸のうちにお湧きになった事がおありでしたらば、わたくしは妻として、恋人として、母としての愛情におすがり申してお願い申します。どうぞ私のこの嘆願を斥《しりぞ》けないで下さい。どうぞあなたの秘密をわたくしにお洩らし下さい。あなたにはもうなんのお入り用もないではありませんか。たといどんな恐ろしい罪を受けようとも、永遠の神の救いを失おうとも、悪魔とどんな取り引きをしようとも、わたくしはけっして厭《いと》いません。……考えて下さい。……あなたはお年を召しておられます。そんなに長くはこの世においでになられないお体《からだ》です……わたくしはあなたの罪を自分のたましいに引き受ける覚悟でおります。どうぞあなたの秘密をわたくしにお伝え下さい。一人の男の幸福が、あなたのお手に握られているということを思い出してください。いいえ、わたくし一人ではありません、わたくしの子孫までがあなたを祝福し、あなたを聖者として尊敬するでしょう……」
 夫人は一言も答えなかった。ヘルマンは立ち上がった。
「老いぼれの鬼婆め」と、彼は歯ぎしりしながら叫んだ。「よし。否応《いやおう》なしに返事をさせてやろう」
 彼はポケットからピストルを把《と》り出した。
 それを見ると、夫人は再びその顔に烈《はげ》しい感動をあらわして、射殺されまいとするかのように頭を振り、手を上げたかと思うと、うしろへそり返ったままに気を失った。
「さあ、もうこんな子供じみたくだらないことはやめましょう」と、ヘルマンは彼女の手をとりながら言った。「もうお願い申すのもこれが最後です。どうぞわたくしにあなたの三枚の切り札の名を教えて下さい。それとも、お忌《いや》ですか」
 夫人は返事をしなかった。ヘルマンは彼女が死んだのを知った。

       四

 リザヴェッタ・イヴァノヴナは夜会服を着たままで、自分の部屋に坐って、深い物思いに沈んでいた。邸《やしき》へ帰ると、彼女は忌《いや》いやながら自分の用をうけたまわりに来た部屋付きの召使いにむかって、着物はわたし一人で脱ぐからといって、早《そう》そうにそこを立ち去らせてしまった。そうして、ヘルマンが来ていることを期待しながら、また一面には来ていてくれないようにと望みながら、胸を躍《おど》らせて自分の部屋へ昇って行った。ひと目見ると、彼女は彼がいないことをさとった。そうし
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