も自分の不運を不運と思わずに、全能の神様が特にあなたに目をお掛け下すっているのですから、不運が自分の役目だけを済ませてしまえば、きっとあなたから去ってしまうものと信じていらっしゃい。そうして、どうぞ私の言葉をも信じて下さい。あなたの今までの苦労なぞは、これからさきの幸福の一秒間で永遠に酬《むく》われます。神様がこんな不運な境遇にあなたの一生を終わらせるなどということは、私にはどうしても信じられません。もう今までの不運もあなたから去ってしまうか、さもなければ、あなたのほうでそれを去らせてしまうであろうと、私は確信しているのです」
こう言いながら彼女はだんだんに熱して来て、手のひらで自分の膝を叩いた。そのときの彼女の態度は純真で、ほとんど神のように尊くみえたので、バーグレーヴ夫人はしばしば涙を流したほどに深く感動した。
それからヴィール夫人はドクトル・ケンリックの「禁欲生活」の終わりに書いてある初期のキリスト信者の話をして、かれらの生活を学ぶことを勧めた。かれらキリスト信者の会話は現代人の会話と全然ちがっていたこと、すなわち現代人の会話は実に浮薄で無意味で、古代のかれらとは全然かけ離れている。かれらの言葉は教訓的であり、信仰的であったが、現代人にはそうしたところは少しもない。私たちはかれらのしてきたようにしなければならない。また、かれらの間には心からの友情があったが、現代人には果たしてそれがあるかというようなことを説いた。
「ほんとうに今の世の中では、心からの友達を求めるのはむずかしいことですね」と、バーグレーヴ夫人も言った。
「ノーリスさんが円満なる友情と題する詩の美しい写本を持っていられましたが、ほんとうに立派なものだと思いました。あなたはあの本をご覧になりましたか」
「いいえ。しかし私は自分で写したのを持っています」
「お持ちですか」と、ヴィール夫人は言った。「では、持っていらっしゃいな」
バーグレーヴ夫人は再び二階から持って来て、それを読んでくれとヴィール夫人に差し出したが、彼女はそれを拒《こば》んで、あまり俯向《うつむ》いていたので頭痛がして来たから、あなたに読んでもらいたいと言うので、バーグレーヴ夫人が読んだ。こうして、この二人の夫人がその詩に歌われたる友情をたたえていた時、ヴィール夫人は「ねえ、バーグレーヴさん。私はあなたをいつまでもいつまでも愛します」と言った。その詩のうちには極楽という言葉を二度も使ってあった。
「ああ、詩人たちは天国にいろいろの名をつけていますのね」と、ヴィール夫人は言った。
そうして、彼女は時どきに眼をこすりながら言った。「あなたは私が持病の発作《ほっさ》のために、どんなにひどく体をこわしているかをご存じないでしょう」
「いいえ。私には、やっぱり以前のあなたのように見えます」と、バーグレーヴ夫人は答えた。
すべてそれらの会話は、バーグレーヴ夫人がとてもその通りに思い出して言い現わすことが出来ないほど、非常にあざやかな言葉でヴィール夫人の亡霊によって進行したのであった。
(一時間と四十五分をついやした長い会話を全部おぼえていられるはずもなく、また、その長い会話の大部分はヴィール夫人の亡霊が語っているのである。)
ヴィール夫人は更にバーグレーヴ夫人にむかって、自分の弟のところへ手紙を出して、自分の指輪は誰だれに贈ってくれ、二カ所の広い土地は彼女の従兄弟《いとこ》のワトソンに与えてくれ、金貨の財布は彼女の私室《キャビネット》にあるということを書き送ってくれと言った。
話がだんだんに怪しくなってきたので、バーグレーヴ夫人はヴィール夫人が例の発作におそわれているのであろうと思った。ひょっとして椅子から床へ倒れ落ちては大変だと考えたので、彼女の膝の前にある椅子に腰をかけた。こうして、前の方を防いでいれば、安楽椅子の両側からは落ちる気づかいはないと思ったからであった。それから彼女はヴィール夫人を慰めるつもりで、二、三度その上着の袖を持ってそれを褒《ほ》めると、ヴィール夫人はこれは練絹《ねりぎぬ》で、新調したものであると話した。しかも、こうした間にもヴィール夫人は手紙のことを繰り返して、バーグレーヴ夫人に自分の要求を拒《こば》まないでくれと懇願するのみならず、機会があったら今日の二人の会話を自分の弟に話してやってくれとも言った。
「ヴィールさん、私にはあまり差し出がましくて、承諾していいか悪いか分かりません。それに、私たちの会話は若い殿方《とのがた》の感情をどんなに害するでしょう」と、バーグレーヴ夫人は渋るように言って、「なぜあなたご自身でおっしゃらないのです。私はそのほうがずっといいと思います」と付けたした。
「いいえ」と、ヴィール夫人は答えた。「今のあなたには差し出がましいようにお思いになる
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