「二つの螺線は、わしの此|二面《ふたおもて》の生活を、遺憾なく示してゐる。しかしわしは、此状態が此様な不思議な性質を持つてゐるにも拘らず、一分でも気違ひになる気などは起らなかつた。わしは常に、思切つて溌剌とした心で、わしの二つの生活を気長く観照してゐたのである。が、唯一つ、わしにも説明の出来ない妙な事があつた――即ちそれは同じ個人性の意識が、全く性格の背反した二人の人間の中に存在してゐたと云ふ事である。わしが自らC――の寒村の牧師補と思つたか、クラリモンドの肩書附きの恋人、ロムアルドオ閣下と思つたか、どうか――これがわしの不思議に思ふ一つの変則なのである。
 兎も角も、わしはヴェニスに住んだ。少くも住んだと信じてゐた。わしが此幻怪な事実の中にどれ程の幻想と印象とが含まれてゐるかを正確に発見するのは到底不可能である。わし達は、カナレイオの辺《ほとり》の、壁画と石像との沢山ある、大きな宮殿に住んでゐた、それは一国の王宮にしても恥しくないやうな宮殿で、わし達は各々ゴンドラの制服を着たバルカロリも、音楽室も、御抱への詩人も持つてゐた。殊にクラリモンドは、大規模な生活を恣にするのが常であつた。彼
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