ハ夜の間に嗅ぎなれた不快な屍体の匂の代りに、ものうい東洋の香料の匂が――わしは艶《なまめ》いた女の匂がどんなものだか知らないのである――柔に生温い空気の中に漂つてゐる。青ざめた光は屍体の傍に黄色く瞬く通夜の蝋燭の代りと云ふよりは、寧ろ淫惑な歓楽の為にわざと作られた薄明りの如く思はれる。わしは、クラリモンドが永久にわしから失はれた瞬間に再び彼女を見る事が出来た、不思議な運命をつくづくと考へて見た。そして、残り惜しい懊悩の吐息がわしの胸を洩れて出た。其時、わしにはわしの後で誰かが亦吐息をしたやうに思はれた。で、振返つて見たがそれは、唯反響にすぎなかつた。けれ共、其刹那に、わしの眼は其時迄見るのを避けてゐた死者の寝床の上に落ちた。刺繍の大きな花で飾られた、赤いダマスコの帳《とばり》が、黄金の房にくゝられて、うつくしい屍骸を見せてくれるのである。屍体は長々と横になつて、手を胸の上に合せてゐる、眩ゆいやうな白いリンネルの褻衣《したぎ》に掩はれたのも、掛衣《かけぎぬ》の陰鬱な紫と、著しい対照を作つて、しかも地合《ぢあひ》のしなやかさが、彼女の肉体のやさしい形を何一つ隠す所もなく、見る人の眼を、美し
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