其時急にわしは、僧院長《アベ》セラピオンが悪魔の謀略《たくみ》を話した語を思出した。今度の事件の不可思議な性質、クラリモンドの人間以上の美しさ、彼女の眼の燐のやうな光、彼女の手の燃え立つばかりの感触、彼女がわしを陥し入れた苦痛、わしの心に急激な変化が起ると共に、凡てのわしの信心が一瞬の間に消えた事――是等の事は、其悪魔の仕業《しわざ》なのをよく証拠立てゝゐるではないか。恐らく繻子のやうな手は爪を隠した手袋であるかも知れぬ。是等の想像に悸《おどろか》されてわしは、再びわしの膝からすべつて、床の上に落ちてゐた祈祷の書を取り上げた。そして再び祈祷に身を捧げようとしたのである。
翌朝セラピオンはわしを伴れに来た。みすぼらしいわし達の鞄を負つて、騾馬《らば》が二頭、門口に待つてゐる。彼は一頭の騾馬に乗り、わしは他の一頭に跨つた。
わし達が此|市《まち》の街路を過ぎて行つた時に、わしは、クラリモンドが見えはしないかと思つて、凡ての窓、凡ての露台を注意して眺めて行つた。が、朝が早いので、市《まち》はまだ殆ど其眼を開かずにゐた。わしはわし達が通りすぎる、凡ての家々の簾や窓掛を透視する事が出来た
前へ
次へ
全68ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ゴーチェ テオフィル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング