ぼれた、ガラスのような眼と、取替えて見ようというまでさ。フイラトフ博士は、新しい屍体《したい》の眼球を取り出して、十一年間も失明していた女の眼に移し植えて成功した。生きた、おまえの眼球を、わしに移し植えたら、わしは、急に若返るだろう」
「飛《と》んでもない。そんな、ガラスのような眼は、真ッ平です」陳君は、ベッドを辷《すべ》り落ちて、逃げ仕度をはじめた。老人は、じわじわと近寄って来て、
「いや、遠慮せずともよい。中国民族の眼と、ドイツ民族の眼と入替えてみるのじゃ。おまえは、この、碧《あお》い眼が欲しくはないか」
「真ッ平です」船室をのがれようとすると、右手を伸して肩先をつかんだ。
「おまえは、また、わしを信じないのか。わしは、学術研究のために、おまえを試験台とするのだ。コマ切れにして、煮て食おうというのではないから、安心して、わしに料理されるがいい」
「試験台にされて堪《たま》るものですか。僕は、あんたの奴隷ではありません」
陳君は、怪老人の手を振り切って、船室を逃れ出た。いっさんに中甲板まで駈《か》け上って、ほっとすると、あとから、老人の、不気味な声が、
「こら、遠慮するなよ、わしの、この碧い、宝石のような眼を、おまえに与えるというのじゃ、その東洋人の、汚らしい眼と、取替えて見よう」
陳君は、それには応えず、後甲板の方へ逃げた。
「こら、小僧、待たぬか」
怪老人は、あくまで執拗《しつよう》に追《おい》かけてくる。舷灯の無い、暗い甲板だが、星の光で、四辺《あたり》の様子がうかがわれる。物かげに身を潜めていると、怪老人は、よろよろと後甲板へやって来た。
「小僧、どこに居る?……。わしの、自由になってくれ。科学のためじゃ。わしの学説を完成させる、最後の試験台だ。わしのために、犠牲になってくれ」怪老人は、後甲板の彼方此方《かなたこなた》を、探し廻っている。物かげに身を潜めている陳君は、このとき、全身の血のたぎるのを感じ、荒々しい息遣いになって来た。彼の足は、力強く、物かげを出て往く。そして、よろよろ四辺を探し廻る老人の前に、立塞《たちふさが》った。
「さあ、じいさん。僕を自由にできたらやって見給え。僕の心臓は、安南人《あんなんじん》の巨《おお》きな心臓だ。僕の鉄腕は、戦いを要求している。この後甲板で、どっちが勝つか、一騎打ちの勝負をしよう」
振《ふり》かえった怪老人は、急に、会心の笑いをもらした。
「ハハハ。それだ、わしの求めていたことは」
「え!」
「つまり、わしは、心臓は、動物の生命の原動力であるかどうかを実験したのじゃ。小僧、おまえの小さな心臓の代りに、あの安南人の大きな心臓を移し替えてみると、わしの学説のとおり、おまえは、あの大きな安南人のように、勇敢に、力強くなったじゃないか。ハハハハハ。もうそれでよい。わしと妥協しよう」
「それじゃ、いまのは嘘《うそ》ですか。眼球を取替ようというのは」
「嘘ではないが、しばらく中止さ。ハハ……」
それから、二月は無事に過ぎた。
怪老人は、ふたたびメスを揮《ふる》おうとはせぬ。が、油断はならない。隙《すき》をうかがってまた、奇怪な解剖をやらぬともかぎらぬ。陳《チャン》君は、それで、夜もろくに眠らず警戒しつづけた。
幽霊船は、長い漂流をつづけているうち、次第に南海の方へ進んでいるようだ。北洋で見うけた、氷の砕片や、寒流特有の海の色は、いつか消えて、暖かい風が甲板を吹いていたが、このごろでは、むしろ、熱風が肌に感じられるようになり、椰子《やし》の実が、ひょうひょうと波にうかんでいるのを見うける。
南海に流れてくるうちに、船底の冷凍室の紅鮭《べにざけ》やオットセイが、腐敗しはじめた。急速度に腐敗し、臭気は、船底一杯に充満し、船室に居られなくなった。それで、二人は、夜も、甲板で眠ることにした。
「困った。飲料水が腐りかけましたよ」
陳君は、不安の面持《おももち》でいうと、怪老人は、
「なアに、海水を呑《の》むさ」一向平気である。
「海水なぞ、呑めやしないじゃありませんか」
「心配することはない。わしが、海水から塩分を取りのぞいて、旨《うま》い飲料水をつくってやる……それよりかどうだ、小僧。冷凍室のものが腐り、飲料水まで腐りかけたというのに、中甲板にころがっている四つの屍骸《しがい》が、少しも腐敗せんじゃないか」
「なるほど、妙ですね」
「妙ではない、当然のことなのだ。わしの創案した防腐剤の偉力は、このとおりじゃ。何なら、おまえにも、防腐剤を注射してやろうか」
「え!」
「生きながら、偉効《いこう》のある防腐剤を注射すると、おまえの肉体は、永遠に死なぬぞ」
「冗談じゃありません。防腐剤は、死んでからねがいます」
「ところが、わしは、生きた人間に、それを試みたいのじゃ。小僧、おまえの肉
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