故障を直せるでしょうね」
と、老博士にいうと、陳君は、それを引取って、
「そうだ。この船の心臓部の故障を直していただくと、僕は機関士、山路君に運転士、たちまち船を動かして、一路、日本の横浜へ直航が出来ますぜ」
怪老人も、肯《うなず》いた。
「なるほど。人間の心臓の手入れは、わしの得意とするところじゃが、船の心臓の手入れは、博士におねがいするとしよう」老博士は、とうとう、機関《エンジン》の修理を押付けられてしまった。
「炭水はあるかね」
「あります。この三ヶ月、一塊の石炭も使わなかったので□」
「機械油は?」
「それも十分です」
「ではひとつ、心臓の手入れをしてみようか」老博士は、やっと腰をあげた。陳君は、僕に向って、
「君は、また運転士だぜ。すぐ用意をしたまえよ。博士の修理が出来たら、僕は、すぐに機関を動かしてみせる。そのまに、石炭を汽罐《かま》に放り込んで置こうか」気の早い陳君は、逸早《いちはや》く昇降口から姿を消してしまった。
魔の海! 魔の海!
果して、数時間ののち、幽霊船|虎丸《タイガーまる》は、運命の方船《はこぶね》を、海洋に捨て、単独で動き出した。心臓部の機関が、軽快な響きを立てて回転し、太い煙突からは、海洋を圧するような黒煙が吐き出され、十五|節《ノット》の速度で、西に針路を執って航行しはじめた。僕は、得意満面である。西へ! 西へ! 西方には、祖国日本が横《よこた》わっている。
僕は、運転室で、やたらに口笛を吹いた。
数ヶ月前、横浜|埠頭《ふとう》で、ハマの船員たちに騙《だま》されて、密猟船虎丸のボーイとして乗船した僕が、今は、素人ながら、一等運転士の貫録をみせて、納り返っているなど、まったく夢のようだ。どろぼう[#「どろぼう」に傍点]船の奴隷が、どろぼう船を分捕って祖国へ凱旋《がいせん》するのだ。僕は、運転室で、得意になって口笛を吹いていたとき、ふとコンパスが狂いだしたのを発見して、「あッ!」と低く呟いた。コンパスが狂ったのは、コンパス自身の罪ではなく、何かの、見えぬ力が、船の進行を邪魔しはじめたからだ。機関《エンジン》の狂ったのでも、汽罐《かま》が破裂したのでもない。船が、急湍《きゅうたん》のような、烈しい潮流に乗って、目まぐるしい迅《はや》さで、一方向に急進しはじめたからだ。
「魔の海! 恐ろしい魔の海だ」僕は、それを知る
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