祖母との間に誠に嬉しい話が始まッた,それを何かというとこうで,もウ二三日過ぎると叔父も江戸へ帰るにより、何か江戸|土産《みやげ》になりそうな、珍らしい面白い遊戯《あそび》を娘にさせて帰したい,が何がよかろうと二人が相談を始めた。しかし面白い遊びといッたところがこの草深い田舎では,五節句、七夕《たなばた》、天皇祭でなくば茸狩《たけが》り蕨採《わらびと》り、まアこんなもので,それを除いては別段これぞという遊びもない,けれども今は四月二十日、節句でもなければ祭でもない、遊戯と言ッては蕨採りのみだ、蕨採りと言ッたところがさのみ面白い遊戯でもない,が摺鉢《すりばち》のような小天地で育ッている見聞きの狭い田舎の小児《こども》には、それが大した遊戯なので,また江戸のような繁華な都に住んでいて野山を珍らしく思う人にはやはり面白い遊戯なので,それゆえいよいよ蕨採りに往くことと極まり、そのことを知らせた時には一同|歓喜《よろこび》の声を上げた。
さてその夜は明日を楽しみにおのおの臥床《ねどこ》にはいッたが、夏の始めとて夜の短さ、間もなく東が白んで夜が明けた。
その日の四ツごろようように仕度《したく》が出来て、城下を去ること半里《はんみち》ばかりの長井戸の森をさして出かけた,同勢は母と、姉と、娘と、自分と、女中二人に下部《しもべ》一人、都合七人であッたところへ、例の勘左衛門が来合わせて、私もお伴をと加わッたので,合わせて八人となり、賑《にぎ》やかになッて出かけた。
家敷《やしき》の? 郭《くるわ》を出て城下の町を離れると、俗に千間土堤《せんげんどて》という堤へ出たが,この堤は夏|刀根川《とねがわ》の水が溢《あふ》れ出る時、それをくい止めて万頃《ばんけい》の田圃《たはた》の防ぎとなり、幾千軒の農家の命と頼む堤であるから、随分大きなものである,堤の上ばかりでも広いところはその幅十間からある、上から下へ下りるには一町余も歩かねば平地にはならぬ、まア随分大きな堤だ。堤の両側は平《ひら》一面の草原で、その草の青々とした間からすみれ、蒲公英《たんぽぽ》、蓮華草《れんげそう》などの花が春風にほらほら首をふッていると、それを面白がッてだか、蝶が翩々《へんぺん》と飛んでいる。右手はただもウ田畑ばかり,こッちの方には小豆《ささげ》の葉の青い間から白い花が、ちらちら人を招いていると,あちらには麦畑の蒼海
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