ーッと入って来た。(この社は隅から隅まで俺《おれ》の所有に属しているのだ)といったような、例えば、牧場主が自分の牧場を見舞う時のような得意さと、(俺のお蔭《かげ》で……いや、お前たちのうちどの男でもこの俺の意志一ツで追い出すこともどうすることも出来るのだ)といったような尊大さとが、湯気かなどのように朦朧《もうろう》と彼の身体から立ちのぼってるのが感ぜられた。
 曽根はその方へ顔を向けた。その機《はずみ》に自分の眼がはからずも社長の鈍く冷たく光ってる眼とちら[#「ちら」に傍点]と途中で出会った。曽根はきたない物でも見たように顔をしかめた。しかし元気を出して、また腹の中で独言をはじめた。
(おや、社長さん、……馬鹿にご機嫌《きげん》が悪いようですね。……人の噂《うわさ》じゃ、このごろ大分金が溜《たま》ったというじゃありませんか。たまには、せめてにこにこした顔くらい見せたっていいじゃありませんか。その方が因果に良うございますよ。……そうだ、それでよろしい、そこに立つとちょうど全体が見渡されます、ご監督ですかな、……)
 曽根は何だか愉快になって来た。そしてまた続けた。
(社長さん、ちょっと思い出したから尋《き》くが、君はもと浅草の何とかいう横町で油売りをしていたってね。――何もよけいなことには相違ないが、校正のT―老の話だからまんざら嘘でもあるまい。草鞋《わらじ》をはいて車を曳《ひ》いて行商をしてあるいたんだって、いや、全く見上げたものだ。T―老もその話をしていかにも羨《うらや》ましがっていましたよ。君のその非凡なる成功は誰だって感服のほかはないさ。あなたはこのごろお宅では、家内のものどもに「ご前様」てなことを言わせておいでだそうですね。それから靴なども一々小間使に命じておぬがせになるのだとか、それもやはりT―老が言っていましたよ。なかなか高尚《こうしょう》な趣味というものですね。いつごろからそんなことをお思いつきになりました? まったく豪勢ですよ。それにしても一体、君が新聞の株なんかどうして買うようになったのだね。しかし君のこの成功もこの新聞の株を手に入れてからだと言うからやはり先見の明があったというものだね。それにしても社長は少々恐れ入るね。全くさ。いや失敬、失敬、社長さん、あなたは近いうちにこの社を売り飛ばすって噂があるが、まったくですか。このあいだ五六人でね、月給
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