野の哄笑
相馬泰三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)如《ごと》く
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)四斗|樽《だる》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)がつと[#「がつと」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぞろ/\
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型の如《ごと》く、青竹につるした白張の提灯《ちやうちん》、紅白の造花の蓮華《れんげ》、紙に貼付《はりつ》けた菓子、雀《すゞめ》の巣さながらの藁細工《わらざいく》の容物《いれもの》に盛つた野だんご、ピカピカ磨《みが》きたてた真鍮《しんちゆう》の燭台《しよくだい》、それから、大きな朱傘をさゝせた、着飾つた坊さん、跣《はだし》の位牌《いはい》持ち、柩《ひつぎ》、――生々しい赤い杉板で造つた四斗|樽《だる》ほどの棺桶《くわんをけ》で、頭から白木綿で巻かれ、その上に、小さな印ばかりの天蓋《てんがい》が置かれてある。棺台に載せて、四人して担《かつ》いだ。――そして、そのあとから、身寄りのもの、念仏衆、村のたれかれ、見物がてらの子守ツ子たちがぞろ/\と続いた。
チン! カン! ボン!
念仏衆の打ちならす小、中、大の鉦《かね》の音が静かに、哀《かな》しげに、そして、いかにも退屈さうに響いた。行列は、それに調子を合せてでもゐるかのやうに、のろ/\と、哀しげに、そしていかにも怠儀《たいぎ》さうに進んだ。
誰もが、唖《おし》ででもあるやうに、重苦しく押黙つてゐた。
チン! カン! ボン!
たゞ、鉦の音だけが、間をおいては同じ調子で繰り返へされた。が、小暗《をぐら》い村の小径《こみち》を離れて、広々とした耕野の道へ出た時、たうとう我慢がしきれなくなつたといつたやうに、誰かが、前の方で叫んだ。
「鉦を、もつとがつと[#「がつと」に傍点]に叩《たゞ》けや。」
と、これも、みんなに寛《くつろ》ぎを勧めでもするやうな、殊更《ことさ》らにおどけた調子で、少し離れたところから、ほかの者が、それにつけ加へた。
「ほんとによ、今度の仏は、大分耳が遠かつたんだから。聞えねえと悪い。」
チーン! カーン! ボーン!
「さうだ、さうだ。もつと、もつと。はゝゝゝ。」
「爺《ぢい》さんな、陰気ツ臭いのが何より嫌《きれ》えだつて、いつも口癖のやうに云つてゐさしたつけよ。」と、今度は後の方で、誰か女の人が云つた。
「それに八十二だつて云や、年齢《とし》に不足はねえんだからの、まあ、目出度《めでて》え方なんだ。」
「ほんだてば。」
「八十二でゐさしたつて、え?」
「あ、さうだ、と。」
「ほう、それにしちや、まあ、とんだ岩畳《がんでふ》なもんだつたの! 仕事ぢや、何をやらしても若いもんと同じこんだつた。」
縛《いまし》めからでも解かれたやうに、一同は急にくつろいで、陽気に、がやがやとしやべり出した。「やれやれ!」といつたやうに大きな吐息を洩《もら》すものさへあつた。
風のない、ぽか/\する上天気である。収穫前の田畑はいづれも豊かに、黄に、褐色《かつしよく》に、飴色《あめいろ》に色付いてゐた。あたりには、赤とんぼの群がちら/\と飛んでゐた。その或るものは、歩いてゐる青竹に、朱傘に、柩にとまつたりした。
チン! カン! ボン!
「爺さんな、今ごろ、どの辺を歩いて居られることやら?」
突然、真中あたりで、こんなことを云ひ出したものがあつた。と、それが、ちやうど波紋かなどのやうに、順々に前後に拡つて行つた。
「三途《さんづ》の川《かは》あたりだらうかなう?」
「なんぼ足が早いつたつて、十万億土つていふから、さうは行かれめえてば。」
「なあに、さうでねえと。瞬《まばた》きしるかしねえうちに向ふへ行きつくもんだつてこんだ。」
「そんな事だつたら、何で脚絆《きやはん》だ、草鞋《わらぢ》だつて穿《は》かせてやることがあらうば。」
「七日七夜の間は、魂が、まだ家のまはりに止つてゐるもんだつてこんだよ。」
「さうだかも知れねえ。」
「どれが当つてゐるか、坊様にお尋ね申してみるが、いつちいゝ。」
話の波が、また中央《まんなか》へ復《かへ》つて来た。が、頭を青々と剃立《そりた》てた生若《なまわか》い坊さんは、勿体《もつたい》ぶつた顔にちよいと微笑を浮べただけで何とも答へなかつた。
しかし、そんな事には一向|頓着《とんぢやく》なく、別な新しい話が、もう、別なところで持ち上つてゐた。
「爺さんな、わるくすると、地獄街道をどん/\行つてしまつたかも知れねえてば。」
「なんしてや?」
「極楽の道は人通りがすくねえんで草だらけだつてこんだからなう。」
「呑気《のんき》もんだから、そんなことに気がつかれめえも知れねえ。」
「さうだてば、真直《まつす》ぐに、ぶら/\と、いつもの鼻唄かなんかでの。」
「爺さんの鼻唄か、はつはつはつは。」
「ほつほつほ……。」
「ばか云ふもんでねえ。おどけでも地獄へおちるなんて、かわいさうによ。……あゝあ……なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。」
「道を間違はつしやらねえやうに、せつせと鉦を叩けや!」
チン! カン! ボン!
「もつと、がつとに!」
チーン! カーン! ボーン!
「だつて、そんな話が出るたんびに、爺さんな、いつも云つてゐさしたつけよ。『極楽なんて真平だ。』つて。『年百年中、蓮《はす》のうてなとやらの上に、お行儀よくかしこまつて坐りこんでゐるなんて、俺がやうながさつ者にや、とても勤まるめえ。』つてよ。」
「爺さんの云ひさうなこんだ。」
「そして、云ふことが面白え、『俺、これで大した悪《わる》働いてゐねえから、どつちみち、大した苦患《くげん》に遇《あ》ふこともあるめえ。それどころか、地獄にや、ほれ、でつけえ人煮る釜《かま》があるつてこんだから、俺がやうな薪割稼業《まきわりかげふ》は案外調法がられめえもんでもねえ。』ツてんだ。」
「はゝゝ、そんなら、爺さんな、あの世へ行つてからも、薪割でおつ通さうツて考でゐさしたんだつたか。」
「いや、さう云や、よう割らしたもんだつたなう!」
「ほんにさ、この何十年が間つてもの、村中の薪つて薪、みんな、あの爺さん一人で割らしたんだからなう。」
「それから、柴《しば》まるけるんだつて、それから、根つ子掘りだつて、みんな、まるで爺さん一人の受持ちみてえにして頼んでゐたもんでねえか。」
「さう云や、俺、近いうちに、二三日も来て貰《もれ》えてえと思つてゐたんだのに、思ひがけなく、ころつ[#「ころつ」に傍点]と逝《ゆ》かしつたんでなう、ほんに、はや!」
「俺がとこでも、根つ子掘りの約束をして置いて呉《く》れさしたんだつたのに、よ。」
チン! カン! ボン!
「なむあみだぶ、なむあみだぶ。」
「いゝお天気で結構なこんだ。」
「今度は珍しく永く続いたもんだ。今日で五日目かの?」
「もう、雨は要《い》らねえ、これから、照つただけが儲《まう》けだ。」
「爺さんはいゝ時に死なしたもんだ。」
「これこそ、ほんとに、爺さんの生涯の功徳《くどく》といふもんだ。藁《わら》も薪もから/\に干《ひ》てゐるから、さぞ、よう燃えさつしやるこつたらうてば。」
「ならうことなら、俺も、こんな日に死にてえもんだ!」
「はゝゝゝ、我家の婆さんが、何を云はつしやることやら。縁起《えんぎ》でもねえ、……しかし、婆さんや、お迎が来たら、そんな、あとの心配なんかしねえで、いつでも心持よう行つてくらつしやい、や。どんな風雨の時だつて、俺、お前のこと半焼のまゝになんかして置かねえから、の。」
「さうだとも、さうだとも。」
「みんな、そんな話し、もう止《や》めさつしやい。信じんが何よりだ。後生《ごしやう》さへ願つてゐれば、それでいゝんだつてこんだ。……なむあみだぶ、なむあみだぶ。」
少し離れたところで、「あゝあゝ」と大きなあくびをしたものがあつた。と思ふと、また、それより別なところで、「はつはつは」と大笑ひした者があつた。
「おどけ者の與平次爺さんが居なくなつたんで急に村が淋《さび》しくなるこんだらう。」
「いつも、馬鹿ばつか云つて、みんなを笑はしてゐさしたつけが、ほんに、あんな頓智《とんち》のいゝ人つてあつたもんでねえ。」
「さう云や、先だつても、飛んだ可笑《をかし》なことを云つてゐさしたつけよ。だしぬけに、『死なば今だ。』つて云はつしやるんだ。『どうして、え?』つて訊《き》くと、真面目《まじめ》な顔で、M(村の名)の勇助――ほれ、この春、死んだ歌唄ひさ。――あれが、現今《いま》、閻魔《えんま》の座に直つてゐるからだつてんだ。」
ところ/\で、笑声が起つた。
「それは、また、どうした訳かつて訊くと、」同じ人が、調子づいて続けた。「閻魔の前で、勇助が前の世で歌唄ひを渡世にしてゐましたつていふと、それでは一つ唄つて聞せろつてことになつたんだ相だね。すると勇助の奴《やつ》、いつもの癖で、ちよいと恐入《おそれい》つたやうに頭を掻《か》いて、その実、大得意で勿体ぶつて、へつへつへつと笑つた相だ。そして、場所柄もわきめえねえつて酷《ひど》く叱《しか》られたつていふね。それでも、勇助が、『なんぼなんでも、裸体《はだか》では唄へません。』つていふと、それぢやつていふんで、閻魔が自分の着てゐた衣物《きもの》を脱《ぬ》いで勇助に着せたんだ相だ。ところが、ちやうどそこへ鬼共がどや/\とやつて来て、間違つて、裸体の閻魔を物も云はせねえで引立て行つてしまつたんだ相だ。」
「なあるほど、それで、そのまゝ、あの勇助|奴《め》が閻魔様つてわけだね。」
「はゝゝゝ、これは面白えや。」
「何だつて、え?」
「はつはつは。」
「ほつほつほ。」
高笑ひが、行列全体をゆるがした。その為めに、白張の提灯をさげた青竹が傾き、朱傘が揺れ、柩《ひつぎ》が波打つた。
「それで、爺さんな、勇助と顔馴染《かほなじみ》だから、悪いやうには取計つてくれめえつてんだよ。それでも、もしかして、先方で白つぱくれてゐやがつたら、『やい、勇助!』つて、地獄中に響きわたるやうな大声で呶鳴《どな》つてやるんだつて云つて、自分でも可笑しがつて大笑ひしてゐさしたつけがよ。」
「はゝゝゝ、勇助と與平次爺さんとでは、全く、はや、うめえ取組だ!」
「はつはつは。」「ほつほつほ。」
みんなが長い間笑つた。やつとそれが止《や》んだ時、また、誰かが、
「やい、勇助!」と、亡き人の仮声《こわいろ》を使つた。
それで、わけもなく、みんなを、また大笑ひに陥れた。
と、また、別な人が、つゞいて、自分自身笑ひに噎《む》せながら、一層巧みなところを試みた。
「やい、歌唄ひの勇助!……お前がいくら三円の雪駄《せつた》を穿《は》いてゐるなんて威張つたつて、俺等が唄はしてやらなかつたら、どうもなるもんぢやなかつたらうに。……この恩知らず奴《め》が!……」
「はゝゝゝ。」「ほゝゝゝ。」
「あゝ、もう止めてくれ。後生だから、はゝゝゝ。腹が痛くなつて来た。……あゝ!」
「何だと! 薪割の與平次奴!……はつはつは。……」と、今度は勇助の仮声を使ふものが現はれて来た。一同が、また、新しくどつと笑ひ崩《くづ》れた。
チン! ボン! カン! カン! チン! チン!
「はゝゝゝ、あゝ、鉦《かね》もなも叩かれたもんでねえ。はゝゝゝ。」
それから、また長いこと笑ひが続いた。そして、やつと終つた。ある者は涙を拭《ふ》き、ある者は横腹を叩き、ある者は咳入《せきい》つて、隣の人から背中を叩いて貰《もら》つたりした。
「あゝ。あゝ。」
あつちでも、こつちでも、笑ひに疲れた後の長い吐息が聞かれた。行列は、いつか識《し》らぬ間に、火葬場に着いてゐるのであつた。
[#地から2字上げ](大正十一年九月)
底本:「現代日本文學大系 49 葛西善蔵 嘉村磯多 相馬泰三 川崎長太郎 宮地嘉六 木山捷平集」筑摩書房
1971(昭和48)年2月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版12刷発行
初出:「野の哄
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