師は毎朝早く起きてかうした霜の庭をながめるのが非常に楽しみであつた。小松の高さはそれでも大抵人間の背丈《せたけ》よりは高かつた。中には人並よりは少し背丈の低い老医師とその頂が丁度すれ/\位のもあり、極稀《ごくまれ》にはそれより低いのもあつた。彼はこんな木の前へと立つと、
「早くもつと大きくなれ、みんなに負けない様にしないといけないぞ。」
 こんな事をつい口に出して云つたりした。そして小犬でも愛する様にしてそれ等の小松を可愛がつた。
 その後、又百本ばかり買ひ込んだ。そのうちに霙《みぞれ》が降りつゞき、やがて雪がちら/\降り出した。さうすると、又根を囲つてやるんで一しきり忙しくなつた。
 やがて雪が降りつもつて、庭中を蔽《おほ》うて仕舞つた。其《その》小松の緑は真白の雪の中に一層愛らしく美しく見えた。

       三

 十二月の中旬。彼の第四男が、勤めてゐる会社の用で英国へやられた。それに少し遅れて第二女の縁付先から無恙《つゝがなく》男子|分娩《ぶんべん》といふ手紙を受取つた。この二ツの出来事の外はこれと云ふ程の事も無くてこの冬は過ぎた。以上の二ツの出来事は何《いづ》れも彼にとつては言葉には言ひ表はせない程うれしい事であつた。何れも半ヶ年ばかり前から分つてゐた事であつたが、愈々《いよ/\》かうなつてみねば多少の心配もあつたので、殊《こと》に第四男の文夫の事に就《つ》いては、これでこそどうやらあの子の出世の道もそろ/\開かれたと云ふものだ。こんな風に考へると、これでやうやく長い/\間の自分の重荷が本当にすつかりとれた様に感ぜられるのであつた。
 春風が暖かく吹いて、黒い土が久方ぶりに表はれて来た。さうすると又人足を呼びあつめて今度は松の木の下、庭一面に青い芝生《しばふ》を敷きつめる事に取りかゝつた。
 小松共は手入れが親切だつたので一本として枯れたのはなかつた。皆元気よく春を迎へて新たなる生長を営みはじめた。
 やがて枝々の先きが柔かく膨《ふく》れて来て、すーツと新芽が延び出した。そしてその根元の処《ところ》へ小さな淡褐色《たんかつしよく》の蕾《つぼみ》が幾つも群がつて現はれた。
 とかくするうちに松の花の黄ろい花粉が、ぽか/\と吹く風と共に烟《けむり》のやうにあたりに散るやうになつた。最初老医師は庭の隅々《すみ/″\》や置石の陰やに黄ろい粉のやうなもののあるのを見て何だらうとのみ思うてゐた。そしてそれが皆松の花粉であるといふ事を知つた時に、それを親しく指先につけてみたりして興がつた。

       四

 彼はその秋にまた、裏の畑を半町歩ばかりつぶしてそこへ小松を植ゑた。その翌年にも又小松を百本ばかり植ゑた。こんな事をしてゐるうちに、第一年に植ゑた小松はもうその当時の高さの二倍にも三倍にも延びて行つた。風が吹けば一人前に蕭々《せう/\》として鳴るやうになつた。
 そしてそれにつれて老医師の考へもこの頃では大分最初と変つてゐた。彼はこの松林を只《たゞ》庭として賞《め》でようなどと云ふ考からは遠く離れてゐた、彼は誰にもそんな事は口外したことはないが、心の中ではかう思うてゐるのである、自分はこの松林の中へどこか自分の一番気に入つた所を選んで、そこへ自分の墓をたてよう、真白ろの大理石で墓をたて、その下に心静かに休みたい。永久に。――彼はこの頃|夜更《よふ》けて、物静かに鳴り渡る松風の音を聞きながら、あの下に、あゝあの下に、かう思ふのが何よりの楽しみであつた。冬になれば広い松林の上へ真白ろな雪が降るであらう。そして、この林の木がもつと/\大きくなつて行つたら――そんな遠い後の事も思うてみた。或時は又、彼の頭の中でその真白な墓の数が幾つにも殖《ふ》えた、自分の妻と、自分の子供達の数だけの墓を列《なら》べて考へたりもした。そしていつも最後には松風の音で自分の空想を句切るのが常であつた。

       五

 それから又八九年|経《た》つた。老医師の頭には真白な毛が過半を占めるやうになつた。今こそ彼には何の不足もなかつた。自分の子達は何れも人並すぐれて立派な出世を遂げ、幸福な内に益々《ます/\》その進むべき道に発展してゐる。可愛い孫の数も十位を以て数へなければならない程に増《ふ》えた。そして松の木も今は皆見事に大きくなり、梢《こずゑ》の方に赤い肌《はだ》を見せたりして仰ぎ見るばかりに堂々たるものとなつた。
 自分の墓を立てる処もちやんと定《き》まつてゐる。真白な大理石の可愛らしい、美しい墓石もちやんと準備が出来てゐる、墓に関してのすべての遺言状も何遍となく浄書し直して、自分の文庫の中に丁寧に蔵《しま》はれてある。
 彼は毎日庭の掃除をしたりして、只管《ひたすら》死病の自分に来るのを静かに待つてゐるのであつた。彼にとつては、かの物静かな
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