つの村、そしてその隣りの村々、町、町々、……五里、十里、二十里……、すべてその通りだ。見渡すかぎり涯《はてし》なく続くこの耕原の中には、濛々《もうもう》と吐き出すただ一本の煙突の形さえも見出されない。どこまでも澄み切って静かである。あゝ、伝習の静けさ、眠りの静けさ、実に堪えられぬ退屈だ。どこへ行っても、いかなる家を訪れても、そこには「新らしい企て」そんなものは噂にさえ聞くことができないではないか。「何事もなかれ、ただ静かに、ただ静かに。」こういう声が形なく天地に漲《みなぎ》っているのだ。
 やがて、庸介は大きな息をして、大空を仰ぎ上げた。――これはまた、何という高さであろう。まあ、実に何という美しさであろう。何という事なしにこう、「際涯もなく」という感じがされるではないか。青く青く澄んで、何とも云えず明るい。
 足の下の谷々で鳴いている小鳥の声が、一つ一つ強く響き渡って、じーっと耳をすましていると、それ等の遠い近い数限りもない音のために耳の中が一ぱいになってゆく。
 庸介はこれらの清らかさ、静けさに酔わされてしばしの間|恍惚《こうこつ》としていた。が、すぐにそのあとからある寂寥が徐々《しずしず》として彼に襲いかかって来た。山の頂には、彼一人のほか誰の姿も見られなかった。彼の思いは、ほかの何者でもない自分自身の上に突き進んで行った。最初に彼は自分の貧弱と、それから漠としたある空虚とを感じた。そしてそれはついに最後まで変わる事なく続いて行ったところのものであった。
「俺というこの人間はいったい何なのだ。何をしているのだ。嘗《か》つて何をしたか。そしてこれから先、何をしようとしているのか。……」
「俺が今、この岩蔭に身を隠したとする、そうしたら誰がこの俺を探しに来る?……」
「ここで今、俺がピストルかなんかで胸を貫いて死んだとする。そうすればどうなるというのだ。……房子が泣くであろう。母と父とが泣くであろう。それが何日続くか。……そしてそれはいったい、何の為めに泣くのか……」
「いったい、この俺という存在に何の意味があるのだ。何を意味しているのだ。ほんとに、この俺という存在にどういう価値があるのだ。……全実在と俺とはどういう点で結びつけられているのだ。……俺でないところの大きな実在が、今、かくのごとく明らかに見えている。」
 こう云ったような事が、いろいろに縺《もつ》れ合
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