昨今のところでは何事も堪忍《かんにん》に堪忍、他日の勝利を期するのみにて只管《ひたすら》愚となり、変物となり居り候《そろ》。(後略)
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(前略)昨年は無経験に加ふるに、収穫半ばに不時の天災に出会ひし為め全く失敗したものの、今年《こんねん》は多少様子もわかり、且つは幾分考ふる所もあり、こゝ一番と努力せしこととて今後非常の天変などのない限りは多少の収益が見られることと思ふ。今二週間も経てば青豌豆《あをゑんどう》の収穫に取かゝるべく、しかしこれは副産物として利益も細いが、余|今年《こんねん》の本稼《ほんかせ》ぎは実に六月初旬よりなれば目下その方の準備で仲々忙しい。(後略)
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(前略)既に御身にも新紙|等《など》にて御承知の事と被存候《ぞんぜられさふらふ》が、当国は昨秋以来経済界に大恐惶《だいきようくわう》有之《これあり》、農産物はその種類の何たるを問はず低廉無此|或《あ》るものは市場《いちば》へ出荷するもその運賃さへとれぬやうな次第|殊《こと》に当地方の苺《いちご》耕作者の如《ごと》き実に惨澹《さんたん》たるものにて破綻《はたん》又破綻、目も当てられぬ有様、全く気の毒千万の事に候、右は一つには苺作《いちごさく》が耕すに易《やす》く比較的利益多きところより権《ごん》も八も植付に急なりし結果当××市郊外のみにて約三千|英加《エーカー》といふ苺畑出来候為め産出過多加ふるに今回の経済界の大恐惶に出会ひし事とて実際話しにならず候。余は幸ひ苺作には力を入れ居《を》らざりし為め左程《さほど》にも無之候《これなくさふら》へども、目下のところ五百|弗《ドル》程の負債出来奮闘真最中に候。尤《もつと》も春作は安価の為め失敗せしもので、main crop は一昨日より出荷を始め候へばこれにて何とか当分の遣繰《やりくり》付く事と存ぜられ候。(後略)
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(前略)……もとより創業費とて不充分なりし事故《ことゆゑ》、如何《いかん》とも進退出来ざるやうになり、昨年|極末《ごくまつ》遂《つひ》に七百弗足らずの負債を背負ひ農業の方手を引き候。その後は市内働きと事きめ就働し来《きた》りしも、不拍子の時は不拍子々々々と或程度まで重なるものにて或時は主人破産せし為め働き金も大半|無《ふい》になり、或時は主人の店火災に罷《かゝ》りし為め余の働口一時途切れ、加ふるに去月十日より風邪《かぜ》の気味にて三週間ばかりぶらぶらし、かた/″\碌《ろく》な事これなく候。(中略)向ふ三四年間は或程度までの金を作る為め雇人として働き、その間は多少読書もし、至つて平静(今までは余りに落付かなかつた)な生活を送る考《かんがへ》に候。近来種々感ずるところあり、如何《いかに》してもこの国に永住の事に決心せしに就《つ》いては、来春早々、此較的人種に区別をおかぬ東部へ出向く考に候。そして相当の資金を得し後は再び田園に引込み、今まで及び昨今のやうでも困るから多少余裕のある趣味ある生活をしたいと思ひ居り候。(後略)
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(前略)この五日より洗濯業研究に着手致し候。昨今は唯《たゞ》器械的に他人の工場内《こうばない》に働き居り候へども二ヶ年位後には本式に独立してやる考に候。
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(前略)不運は何故《なぜ》かくまで執拗《しつえう》に余に附纏《つきまと》ふことに候や。今春は複々《また/\》損失、××銀行破産の為め少しばかりの預金をおぢやんに致し候。その後とて引つゞき一つ所に働き居り候はば斯《か》くまで不如意にも陥らざりしものを、……(中略)当今は渡米以来一等の貧乏に候。今度こそは何とかして或る一定の専門技術を修得し、一日も早く普通労働者の域を脱したく、裁縫学校へ入学志願致し候。いろ/\の抱負もさる事ながら、一人前《ひとりまへ》に自分の口を糊《のり》することが先決問題かと被存候《ぞんぜられさふらふ》。この頃つく/″\その様な事を考へるやうに相成《あひな》り候《さふらふ》。(後略)
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(前略)一昨々年春以来他へ転居候為め、御書面昨日|漸《やうや》く落手致し候次第、その後の御不沙汰《ごぶさた》何とも申訳|無之《これなく》候。迂生事《うせいこと》、昨年七月より近郊にて(現今のところ)約六|反歩《たんぶ》の土地つき家屋を借受け、昨秋切花用として芍薬《しやくやく》二千株程植付け候。されど、今年は勿論《もちろん》、明年とて格別の収入無之かるべく候へば、当分のうちは日曜の外毎夜電車にて下町へ通ひ何かと労働に従事致し居る次第、お問合せの妻帯などは迚《とて》も迚も以ての外のこと、未《いま》だに独立も出来ず相変らずの貧乏書生に候。向ふ三四年中には一度皆様にお目にかゝりに帰朝致したく存じ居候。
迂生昨年五月以来、一晩も欠かさず冷水浴を継続致居り候為めか、身体の工合致つて宜《よろ》しく、明けて四十二歳になるが人々にはどうしても三十五歳にしか見えぬ由に候。呵々《かゝ》。
今秋は御地《おんち》より山百合《やまゆり》二千個、芍薬|種子《たね》三升程、花菖蒲《はなしやうぶ》五百株送附し来る都合に相成居り候間、追つて明年の結果御報知申上ぐべく候。(後略)
[#地から2字上げ](大正六年十月)
底本:「現代日本文學大系 49 葛西善蔵 嘉村磯多 相馬泰三 川崎長太郎 宮地嘉六 木山捷平集」筑摩書房
1971(昭和48)年2月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版12刷発行
初出:「新潮」
1917(大正6)年10月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:noriko saito
2010年2月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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