新らしき祖先
相馬泰三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)或《あ》る
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)農林学校|出身《で》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「鼾のへん+嗅のつくり」、第4水準2−94−73]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぢく/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
*半濁点付きの二倍の踊り字は「/゜\」
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一
或《あ》る年の、四月半ばの或る晴れた日、地主宇沢家の邸裏《やしきうら》の畑地へ二十人ばかりの人足が入りこんで、お喋舌《しやべり》をしたり鼻唄《はなうた》を唄つたりして賑《にぎや》かに立働いてゐた。或る者は鋤《すき》を持つて溝《みぞ》を掘り、或る者はそこから掘上げられた土を運んで、地続きになつてゐる凹《くぼ》みの水溜《みづたまり》を埋めてゐ、また或る者は鍬《くは》の刃を時々キラキラ[#「キラキラ」に傍点]と太陽の光に照返へらせながら去年の畝《うね》を犂返《すきかへ》してゐた。
漸《やうや》く雪解《ゆきどけ》がすんだばかりなので、ところどころでちよろ[#「ちよろ」に傍点]/\小流《こながれ》が出来てゐた。掘返へしても掘返へしても、かなり下の方まで土がぢく/\[#「ぢく/\」に傍点]濡《ぬれ》れてゐた。それで、人足たちの手も足も、着てゐる仕事着も、頬《ほゝ》かぶりにした手拭《てぬぐひ》まで――身体ぢゆう泥だらけになつてゐた。
方々で、泥の飛ぶ音や水のはねつ返へる音がしてゐた。
「やりきれやしないや。」と、誰《たれ》やらがこぼ[#「こぼ」に傍点]してゐる。
「ほ、滑つて、歩かれやしない!」と、どこかで、他《ほか》の男が怒鳴つてゐる。
と、こちらの、邸境《やしきざかひ》になつてゐる杉林に沿つたところを犂返へしてゐる一人の中年の男が、それに答へるやうに、何かで酷《ひど》く咽喉《のど》を害《や》られてゐる皺嗄声《しわがれごゑ》で、「何だつてまだ耕作《しごと》には時節が早過ぎるわ。」と嘯《うそぶ》いた。「地面の奴《やつ》、寝込みをあんまり早く叩《たゝ》き起されたんで機嫌《きげん》を悪くしてゐやがるんだよ。」
「さうよ、土がまだ妙に冷たいもんな。」と、それと並んで同じ労働《しごと》をしてゐる同じ年格好の、もう一人の男が云つた。そして、どこか不平を洩《も》らすやうな調子で訊《たづ》ねた。「だが、此地《こゝ》で一体何がおつぱじまるんだね?」
「林檎林《りんごばやし》が出来るんだとよ。」と、皺嗄声の男が、これも何やら気に入らなさ相な口調で答へた。
「へえ、林檎林が出来るか。だが、この界隈《かいわい》ぢや昔から林檎つてことは聞かないな、俺等《わしら》の地方《はう》にや適《む》かないんぢやないかね。なあにさ、そりや、どうせ旦那衆《だんなしゆう》の道楽だから何だつて構はないやうなもののな。」
「ほんとによ。林檎がこの土地に適かうが適くまいが、そんなこと俺等に何の関係もないこつたが、その為めに、俺等が永年作り込んだ地面を、なんぼ自分の所有《もの》だといつて、さうぽん/\と無造作《むざうさ》に取上げられたんぢや、全くやりきれやしない。」
「第一、勿体《もつたい》ないやね。こんな上等な土地を玩具《おもちや》にするなんて、全くよくないこつた! それには些《ち》つと広過ぎるよ。」
「しツ! 止《お》かつしやい。馬鹿言ふぢやない。お前がたの今言つてたやうな事が、あの若旦那の耳へ入りでもしたら、」と、その隣に並んで同じ労働《しごと》に従事してゐた三番目の男が、前の二人を窘《たしな》めるやうに言つて、その会話に加つた。「あの人は真面目《むき》だから怒ると恐《こは》いぜ。それに、今度のことぢや、若旦那、篦棒《べらぼう》なのぼせ[#「のぼせ」に傍点]やうをして居なさるんだつて言ふからな。」が、その調子には、どこか一同《みんな》と共通した不平と嘲笑《てうせう》の影がひそんでゐた。彼は飽までも恍《とぼ》けた真面目《まじめ》な顔をして、なほも続けた。
「なんだつていふぜ、今度の事がうまく成功すると、追々手を拡げて、所有地を全部小作人から取上げてしまふんだつて。そして、村ぢゆうをその林檎林にしてしまふんだつて。いや、あの人のこつたからきつとやるぜ。」
「そんなことされて堪《たま》るもんか。」と、誰やらが、それに反対した。
「だつて、堪るも堪らないもないぢやないか。地主様の仕《さ》つしやる事、誰が苦情を申立てられよう!」と、他《ほか》の声が答へた。
「だが、さうなつたら、俺等《わしら》はどういふ事になるんだ?」と、最初皺嗄声の男と話し合つてゐた中央《まんなか》の男が、麻紐《あさひも》で腰へ下げてある竹の箆《へら》で餅《もち》のやうにへばり[#「へばり」に傍点]着いてゐる鍬の土を払ひ落しながら、幾らか気になると云つたやうに訊《たづ》ねた。
「さうなつたら、みんなで手を繋《つな》がつて北海道へでも出かけるより外ないさ。百姓が田地《でんぢ》にありつけなくなつたらもう、どうにも終《をへ》ないからな。」と、皺嗄声の男が答へた。ところが、その言ひ方が妙に哀れつぽくて殊更《ことさら》らしく滑稽《こつけい》だつたので、みんなが一斉にどつ[#「どつ」に傍点]と笑ひ出した。
「笑ひごつちやないぜ。全く、追々時勢が変つて来てるんだからな。」
と、さつきの、恍けて真面目な顔をした男が、笑つて/\眼から涙を流しながら言つた。
前よりも一層大きな、一層長く続く笑声が湧起《わきおこ》つた。と、その中の一人が、もう一度、一同《みんな》の笑を繰返へさせようとして、「若旦那も罪なもくろみ[#「もくろみ」に傍点]を初めなすつたものさね。」と言ひ放つた。そして、その目的が充分に達せられた。その上に、それは、多少なり興奮してゐた一同の頭を一遍に和らげ、軽く易々《やす/\》とした暢気《のんき》な気持ちにさせた。なぜなら、そのなかに使用《つか》はれた「もくろみ」といふ言葉が、彼等の間では軈《やが》て直ちに『失敗』といふことを聯想《れんさう》させるものであつたから。――これを機として、彼等の話題は他の方へふら/\と漂ひ流れて行つた。この村の、もう一軒の地主である寺本といふ家では濁酒《だくしゆ》の醸造を創《はじ》めて、まだ十年と経《た》たない今日《こんにち》、家屋敷まで他人手《ひとで》に渡してしまつた……といふ、そんな噂《うはさ》や、それから、近年この近在の地主たちによつて頻々《ひん/゜\》として演じられるその種の失敗の数々を次から次へと並べたてて行つた。彼等独特な、思ひきり明つ放しな高笑が、時々彼等の間で湧き起つた。
人々に依《よ》つて犂返へされた湿つぽい土からはほか[#「ほか」に傍点]/\した白い水蒸気が立ちのぼり、それと共に永い冬の間どこにも※[#「鼾のへん+嗅のつくり」、第4水準2−94−73]《か》ぐことの出来なかつた或る一種の生々した香《にほひ》が発散してゐた。その畑地の外側に沿ふて通じてゐる灌漑用《くわんがいよう》の堀割の中を、雪解《ゆきげ》の水が押合ふやうにしてガボン/\流れてゐた。
二
地面は、燃えるやうな憧憬《しようけい》を持つた青年を新らしく主人に迎へて喜こび、且つ彼を愛してゐるやうでもあつた。
新らしく植付けられた林檎や葡萄《ぶだう》や実桜《さくらんぼ》の苗は何《いづ》れも面白いやうにずん/\生長《おひの》びて行つた。下作《したさく》として経営した玉葱《たまねぎ》やキャベツの類《たぐひ》もそれ/″\成功した。
農林学校|出身《で》の、地主の悴《せがれ》の欣之介《きんのすけ》は毎日朝早くから日の暮れるまで、作男の庄吉を相手に彼の整頓《せいとん》した農園の中で余念なく労働した。玉葱やキャベツの収穫時《とりいれどき》には、彼の小さな弟や妹たちまで尻《しり》つ端折《ぱしをり》をして裸足《はだし》で手伝ひに出かけた。玉葱を引抜いたり、キャベツを笊《ざる》に入れて畑から納屋《なや》へ運んだりした。燥《はし》やぎのジム(飼犬《いぬ》の名)が人々の後を追ひかけ廻つて叱《しか》られたり、子供たちが走つて転《ころ》んで収穫物《とりいれもの》が笊の中から飛び出して地べたをころ/\ころがりあるいたり、……そんな日には家中《うちぢゆう》に愉快な、生々とした気分が漲《みなぎ》りあふれた。そんな騒ぎのあと四五日すると、いつも町から、近くの軍隊へ野菜類を納める御用商人の一人が荷馬車を持つてやつて来た。そして、山のやうに積んである納屋の収穫物《しうくわくぶつ》を綺麗《きれい》に持つて行つてしまふ。とその晩には、きまつて作男の庄吉が酒をのんで、酔払つて、可笑《をか》しな唄をうたつたりして家の者を笑はした。
欣之介は或日、――それは麦打のすんだ後で、農家の周囲《まはり》には到《いた》る処《ところ》に麦藁《むぎわら》が山のやうに積んである頃のことであつた――庄吉と二人で農園の一つの隅《すみ》へ小さな小舎《こや》を一つ建てた。丸太を組合せて骨を造り、赤土を捏《こ》ねて壁を塗り、近所から麦藁を譲つて貰《もら》つて、屋根を葺《ふ》いた。そして、それが出来上ると其《その》翌日、七里も先方《さき》に在《あ》る牧場《まきば》へ庄吉をつれて行つて、豚の仔《こ》を一番《ひとつがひ》荷車に乗せて運んで来た。彼は又優良な鶏《とり》の卵を孵化《かへ》して、小作人たちの飼つてゐる古い、よぼ/\の、性質《たち》のよくない鶏《とり》とたゞで取替へてやることを申出た。なほ、近所の百姓たちに簡便に出来る蔬菜《そさい》の速成栽培のやりかたを教へたり、子供のある家では子供の内職として家鴨《あひる》を飼ふやうにといふやうな事を奨励してあるいたりした。
欣之介は、自分の農園の中央部に小さな洋風の小舎《こや》を建てて、そこでたつた一人で寝起してゐた。その建物は八畳ばかりの広さの部屋と、それに隣《とな》つた同じ広さの土間との二つの部分から成立つてゐた。出入口は土間の方についてゐた。土間には、こま/\した農具や泥《どろ》のついた彼の仕事衣《しごとぎ》やが一方の壁に立かけたりぶら[#「ぶら」に傍点]下げたりしてあつた。一つの隅に囲炉裏《ゐろり》が設けられ、それを取まいて三四脚の粗末な椅子《いす》が置かれてあつた。冬の夜永《よなが》などには、よく三四人の青年が其処《そこ》へ集つて来て、粗柔《そだ》を焚《た》きながらいつまでも/\語り続けた。それ等の客のなかに、一人の年若い小学教師があつた。彼は、いつも誰かの詩集を懐《ふところ》にしてゐて、よく文学や恋愛のことを熱のある口調で語つた。
「人間は(心)のほかの何物をも所持しようとしてはならない。」かういふのが彼のきまり文句であつた。
「人々がみんなさういふ考の上に生きてゆければ、その上に何の革命も必要としない。」
定連《ぢやうれん》の一人に、病気で都会の学校から帰つてゐる大学生があつた。彼は一種の瞑想家《めいさうか》で、「自分には、この世に、生れたり死んだりするものの外に何か永劫《えいごふ》に変らない、少しの揺《ゆる》ぎすらない或《あ》る理法と云つたやうなものが存在してゐるやうな気がしてならない。」などと、静かな調子で語り出すのが彼の癖であつた。
欣之介は、彼自身、自分の考へてゐることを他の人達のやうに口に出して話すことをあまり好まなかつたが、さうした人達のさうした話を凝《ぢ》つと聞いてゐるのが愉快で堪《たま》らなかつた。
彼の小舎の外側には木蔦《きづた》が一ぱいに纏《まと》ひつかせてあつた。春先きから夏へかけて美しい柔かな葉が繁《しげ》つて、柱から羽目から屋根から凡《すべ》てを、まるで緑色の天驚絨《ビロウド》の夜具を頭からすつぽり[#「すつぽり」に傍点]ひつかぶつたやうに掩《おほ》ひ隠してしまつた。彼は又、その家の周囲《まはり》に薫《かん
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