男と話し合つてゐた中央《まんなか》の男が、麻紐《あさひも》で腰へ下げてある竹の箆《へら》で餅《もち》のやうにへばり[#「へばり」に傍点]着いてゐる鍬の土を払ひ落しながら、幾らか気になると云つたやうに訊《たづ》ねた。
「さうなつたら、みんなで手を繋《つな》がつて北海道へでも出かけるより外ないさ。百姓が田地《でんぢ》にありつけなくなつたらもう、どうにも終《をへ》ないからな。」と、皺嗄声の男が答へた。ところが、その言ひ方が妙に哀れつぽくて殊更《ことさら》らしく滑稽《こつけい》だつたので、みんなが一斉にどつ[#「どつ」に傍点]と笑ひ出した。
「笑ひごつちやないぜ。全く、追々時勢が変つて来てるんだからな。」
と、さつきの、恍けて真面目な顔をした男が、笑つて/\眼から涙を流しながら言つた。
前よりも一層大きな、一層長く続く笑声が湧起《わきおこ》つた。と、その中の一人が、もう一度、一同《みんな》の笑を繰返へさせようとして、「若旦那も罪なもくろみ[#「もくろみ」に傍点]を初めなすつたものさね。」と言ひ放つた。そして、その目的が充分に達せられた。その上に、それは、多少なり興奮してゐた一同の頭を一遍に和らげ、軽く易々《やす/\》とした暢気《のんき》な気持ちにさせた。なぜなら、そのなかに使用《つか》はれた「もくろみ」といふ言葉が、彼等の間では軈《やが》て直ちに『失敗』といふことを聯想《れんさう》させるものであつたから。――これを機として、彼等の話題は他の方へふら/\と漂ひ流れて行つた。この村の、もう一軒の地主である寺本といふ家では濁酒《だくしゆ》の醸造を創《はじ》めて、まだ十年と経《た》たない今日《こんにち》、家屋敷まで他人手《ひとで》に渡してしまつた……といふ、そんな噂《うはさ》や、それから、近年この近在の地主たちによつて頻々《ひん/゜\》として演じられるその種の失敗の数々を次から次へと並べたてて行つた。彼等独特な、思ひきり明つ放しな高笑が、時々彼等の間で湧き起つた。
人々に依《よ》つて犂返へされた湿つぽい土からはほか[#「ほか」に傍点]/\した白い水蒸気が立ちのぼり、それと共に永い冬の間どこにも※[#「鼾のへん+嗅のつくり」、第4水準2−94−73]《か》ぐことの出来なかつた或る一種の生々した香《にほひ》が発散してゐた。その畑地の外側に沿ふて通じてゐる灌漑用《くわんがいよう》の堀割の中を、雪解《ゆきげ》の水が押合ふやうにしてガボン/\流れてゐた。
二
地面は、燃えるやうな憧憬《しようけい》を持つた青年を新らしく主人に迎へて喜こび、且つ彼を愛してゐるやうでもあつた。
新らしく植付けられた林檎や葡萄《ぶだう》や実桜《さくらんぼ》の苗は何《いづ》れも面白いやうにずん/\生長《おひの》びて行つた。下作《したさく》として経営した玉葱《たまねぎ》やキャベツの類《たぐひ》もそれ/″\成功した。
農林学校|出身《で》の、地主の悴《せがれ》の欣之介《きんのすけ》は毎日朝早くから日の暮れるまで、作男の庄吉を相手に彼の整頓《せいとん》した農園の中で余念なく労働した。玉葱やキャベツの収穫時《とりいれどき》には、彼の小さな弟や妹たちまで尻《しり》つ端折《ぱしをり》をして裸足《はだし》で手伝ひに出かけた。玉葱を引抜いたり、キャベツを笊《ざる》に入れて畑から納屋《なや》へ運んだりした。燥《はし》やぎのジム(飼犬《いぬ》の名)が人々の後を追ひかけ廻つて叱《しか》られたり、子供たちが走つて転《ころ》んで収穫物《とりいれもの》が笊の中から飛び出して地べたをころ/\ころがりあるいたり、……そんな日には家中《うちぢゆう》に愉快な、生々とした気分が漲《みなぎ》りあふれた。そんな騒ぎのあと四五日すると、いつも町から、近くの軍隊へ野菜類を納める御用商人の一人が荷馬車を持つてやつて来た。そして、山のやうに積んである納屋の収穫物《しうくわくぶつ》を綺麗《きれい》に持つて行つてしまふ。とその晩には、きまつて作男の庄吉が酒をのんで、酔払つて、可笑《をか》しな唄をうたつたりして家の者を笑はした。
欣之介は或日、――それは麦打のすんだ後で、農家の周囲《まはり》には到《いた》る処《ところ》に麦藁《むぎわら》が山のやうに積んである頃のことであつた――庄吉と二人で農園の一つの隅《すみ》へ小さな小舎《こや》を一つ建てた。丸太を組合せて骨を造り、赤土を捏《こ》ねて壁を塗り、近所から麦藁を譲つて貰《もら》つて、屋根を葺《ふ》いた。そして、それが出来上ると其《その》翌日、七里も先方《さき》に在《あ》る牧場《まきば》へ庄吉をつれて行つて、豚の仔《こ》を一番《ひとつがひ》荷車に乗せて運んで来た。彼は又優良な鶏《とり》の卵を孵化《かへ》して、小作人たちの飼つてゐる古い、よぼ/\の、性質《たち
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