運び出してゐる。人足共の蟻《あり》の行列の末は埠頭《はとば》に繋《つな》いである大きな汽船の中へと流れ込んでゐる。……
ある年の夏の初め、欣之介のゐる離家《はなれ》の横手にある灰汁柴《あくしば》の枝々の先端《さき》へ小さな粒々の白い花が咲き出した頃の或る日暮方、革紐《かはひも》で堅く結《ゆは》へた白いズックの鞄《かばん》が一つ、その灰汁柴の藪蔭《やぶかげ》に置いてあつた。が、誰もそれに気づくものがなかつた。そして、その翌朝《よくあさ》、下男の庄吉が庭掃《にははき》に出た時には、それはもう失くなつてゐた。
その日から、欣之介の姿はそのあたりに見ることが出来なかつた。
五
更らに又十幾年かの歳月が経《た》つた。
その間に、村では、宇沢家の老主人が亡くなり、その後を次男の敬二郎が相続し、病身の大学生が死に、欣之介のところへよく話しにやつて来た小学校の教師が永年の勤続の結果として校長にあげられたりした。が、それ等は何れも如何《いか》にも尋常に、少しの際立《きはだ》つことなく、いつも穏かに取片附いてゆき、そこには殆《ほと》んど何の推移もなかつたやうにさへ思はれた。
家出をした欣之介はその後或る便宜を得てアメリカへ渡つて行つたが、其地《そこ》で何をしたか、今何をしてゐるか? それに答へるものは、彼が向ふから弟の敬二郎に書き送つた幾通かの手紙の外にない。それには次のやうな事が書いであつた。――
*
(前略)余はふと[#「ふと」に傍点]した機会で思はしき手頃の土地見当りし故《ゆゑ》、今冬より満四ヶ年の契約にて借受け、試み旁々《かた/″\》事業着手のことに致《いた》し候《さふろふ》。余がこれまで寝食せし所、それは賄付《まかなひつき》の宿屋などとは以つての外のこと、テント同様の仮小屋にて、板敷の床へ薄つぺらの蒲団《ふとん》を敷きて寝るといふ始末、最初は身体が痛くて困難せしも、だん/\日を経《ふ》るに従ひ格別苦にもならぬやうに相成候《あひなりそろ》。賄は七八人以下の団体稼《だんたいかせ》ぎの時分には廻りコックにて、これにも初めは極《ひど》く閉口したが今では仲々|下手《へた》なおさんどんなどはだし[#「はだし」に傍点]だよ。食べ物は日本と大差はないが、味は肉類野菜類|何《いづ》れも日本のそれとは比較にならぬほどまづい[#「まづい」に傍点]。(中略)
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