く恐縮の外はありません。
当時御発病の折、ロンドンに私が居りましたこと、私が当時十日余も同宿いたしました事、また英文科卒業生であること、以上が煩をしたので誠に遺憾に耐へません。
弁明したくも漱石さんは、もはや此世におはさず、せめてあなたになりと此誤解を正したく此一文を草するのであります。
作品に対する弁難攻撃には在来決して答へませんでした。帰朝匆々ある詩派『明星』といふ一雑誌が党同異閥の精神からか、露伴先生の『出廬』を攻撃した其翌月、私のやうなものにも喰つてかかり、謂れない悪罵を逞うした折も黙視して、たゞ在京の友へ『売りかねた喧嘩の花も江戸の春』と駄句つた位のものでした。
しかし人格に対しての無実の誣言は断じて放置するわけには行きません、尊い古人の文句を引くのは憚る処ですが『正当の証拠によつてわが不法を証明せよ、上帝は爾と我との間を判ぜん』であります。
此一文は遺言してまでも必ずわが拙い集の中へ是非とも編入させます。
ルーソーの『告白』の序に『此一巻を携へて上帝の前に出でん……』云々とありますが私も此一文は死後九天の上九泉の下何処へなりと示すを憚りません。其ルーソーより聯想されますが、文芸上の天才には時として(敏感性の半面として)甚だしい猜疑の発作があります。万里の異郷の孤館の研学が度を過して多少精神に異状を来したといふことは、むしろ同情すべき事で決して不名誉とは思ひませんが、漱石さんが其事実をあとから否定されたとするのも、或は又帰朝の後にもかゝる発作の折にあゝいふ言を発せられたとするも、是は天才の痛はしい半面と見てたゞ嘆息すべきでありませう。
今は世に無い御良人に対して辞句或は敬を失したかも知れませんが、漱石さんが深淵の学識と非凡の天才とを兼ねた文豪であり、明治大正に亘りて爛々の光彩を放つた偉大の作家であるといふ事実に対しては、深厚の敬意を払ひつゝある私であります。そして此一文を書いて寃を漉ぐ機会を偶然にも与へて下すつたあなたには一片感謝の念が無いではありません、決して皮肉にかく申すのではありません。
底本:「日本の名随筆 別巻31 留学」作品社
1993(平成5)年9月25日第1刷発行
底本の親本:「雨の降る日は天気が悪い」大雄閣
1934(昭和9)年9月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2004年8月10日作成
2005年11月22日修正
青空文庫作成ファイル:
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