催された。第三回は郷土史家三原良吉君、天江富彌君、宮崎君が來訪して花壇の借舍で開かれた。
 以上三回の放談を纏め更に附録として若干の隨筆を加へたものが本書である。
 あらゆる子らを皆先だて、戰災に因り、社會政策により、殆んど一切の有形物を失ひ、頽齡陋質殘喘を續け乍ら、祖國の復興を祈つてやまぬ私はつい先頃菩提所大林寺に擅徒惣代として一知人の弔辭を讀み、その中に「一切は天命である、君が七十八歳の私に先だつも天命である、今明日にも私は君の後を逐ふかも知れぬ、或はいや/\乍ち長壽を全うするかも知れぬ。どちらでも宜し、臨終の時は遺族と友人と知人とに永々ありがたうの感謝を捧げて瞑目する考で居る……」と述べたが是が私の目下の心境である。

 昭和二十三年(一九四八)四月[#地から2字上げ]土井晩翠

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此の序を書いた一月後妻八枝が急性肺炎により一週間就床の後五月十日に死亡した。私は今七十歳の老妹と十六歳の孫と女中との淋しい四人ぐらしである。
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底本:「晩翠放談」河北新報社
   1948(昭和23)年8月5日発行
入力:門田裕志
校正:小林繁雄

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