メるを招く喜びか
無常をさとすいましめか
望を告ぐる法音か。
友高樓のおばしまに
別れの袂重きとき
露荒凉の城あとに
懷古の思しげきとき
聖者靜けき窓の戸に
無象の天《そら》を思ふとき
大空高く聲あげて
今はと叫ぶ暮の鐘。
人住むところ行くところ
嘆と死とのあるところ
歌と樂《がく》とのあるところ
涙、悲み、憂きなやみ
笑、喜び、たのしみと
互に移りゆくところ、
都大路の花のかげ
白雲深き鄙の里
白波寄する荒磯邊、
無心の穉子《ちご》の耳にしも
無聲の塚の床にしも
等しく響く暮の鐘。
雲飄揚の身はひとり
五城樓下の春遠く
都の空にさすらへつ
思しのぶが岡の上
われも夕の鐘を聞く。
鐘の響きに夕がらす
入日名殘の影薄き
あなたの森にゐるがごと
むらがりたちて淀みなく
そゞろに起るわが思ひ。
靜まり返る大ぞらの
波をふたゝびゆるがして
雲より雲にどよみゆく
餘韻かすかに程遠く
浮世の耳に絶ゆるとも
しるや無象の天の外
下界の夢のうはごとを
名殘の鐘にきゝとらん
高き、尊き靈ありと。
天使の群をかきわけて
昇りも行くか「無限」の座
鐘よ、光の門の戸に
何とかなれの叫ぶらむ、
下界の暗は厚うして
聖者の憂絶えずとか
浮世の花は脆うして
詩人の涙涸れずとか。
長く、かすけく、また遠く
今はたつゞく一ひゞき
呼ぶか閻浮の魂の聲
かの永劫の深みより、
「われも浮世のあらし吹く
波間にうきし一葉舟
入江の春は遠くして
舟路半ばに沈みぬ」と。
恨みなはてぞ世の運命《さだめ》、
無限の未來後にひき
無限の過去を前に見て
我いまこゝに惑あり
はたいまこゝに望あり、
笑、たのしみ、うきなやみ
暗と光と織りなして
歌ふ浮世の一ふしも
いざ響かせむ暮の鐘、
先だつ魂に、來ん魂に
かくて思をかはしつゝ
流一筋大川の
泉と海とつなぐごと。
吹くや東の夕あらし
寄するや西の雲の波
かの中空に集りて
しばしは共に言もなし
ふたつ再び別るとき
「秘密」と彼も叫ぶらむ。
人生、理想、はた秘密
詩人の夢よ、迷よと
我笑ひしも幾たびか、
まひるの光りかゞやきて
望の星の消ゆるごと
浮世の塵にまみれては
罪か濁世《ぢよくせ》かわれ知らず。
其塵深き人の世の
夕暮ごとに聲あげて
無限永劫神の世を
警しめ告ぐる鐘の音、
源流《げんりう》すでに遠くして
濁波《だくは》を揚ぐる末の世に
無言の教宣りつゝも
有情《うじやう》の涙誘へるか。
祇園精舍の檐朽ちて
葷酒の香《か》のみ高くとも
セント、ソヒヤの塔荒れて
福音俗に媚ぶるとも
聞けや夕の鐘のうち
靈鷲橄欖いにしへの
高き、尊き法の聲。
天地[#「天地」に白丸傍点]有情《うじやう》[#「有情《うじやう》」に白丸傍点]の夕まぐれ
わが驂鸞《さんらん》の夢さめて
鳳樓いつか跡もなく
花もにほひも夕月も
うつゝは脆《もろ》き春の世や
岑上《をのへ》の霞たちきりて
縫へる仙女の綾ごろも
袖にあらしはつらくとも
「自然」の胸をゆるがして
響く微妙の樂の聲
その一音はこゝにあり。
天の莊嚴地の美麗
花かんばしく星てりて
「自然」のたくみ替らねど
わづらひ世々に絶えずして
理想の夢の消ゆるまは
たえずも響けとこしへに
地籟天籟身に兼ぬる
ゆふ入相の鐘の聲。
荒城の月
[#ここから4字下げ]
明治卅一年頃東京音樂學校の需に應じて作れるもの、作曲者は今も惜まるる秀才瀧廉太郎君
[#ここで字下げ終わり]
春高樓の花の宴
めぐる盃影さして
千代の松が枝わけ出でし
むかしの光いまいづこ。
秋陣營の霜の色
鳴き行く雁の數見せて
植うるつるぎに照りそひし
むかしの光今いづこ。
いま荒城のよはの月
變らぬ光たがためぞ
垣に殘るはただかづら
松に歌ふはただあらし。
天上影は變らねど
榮枯は移る世の姿
寫さんとてか今もなほ
あゝ荒城の夜半の月。
底本:「明治文學全集 58」筑摩書房
1967(昭和42)年4月15日発行
※変体仮名は普通仮名にあらためました。
※底本では注釈番号は、対象となる語の下に付いています。
入力:門田裕志
校正:林 幸雄
2010年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全6ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
土井 晩翠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング